スノッリ・ストゥルルソン
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}これはアイスランド人の名前です。姓にみえる部分は父称であり、の名前としてのではありません。この記事で取り扱っている人物は、正式には個人名のスノッリで呼ばれます。(Template:アイスランド人の名前スノッリ・ストゥルルソン。1899年に出版された『ヘイムスクリングラ』の挿絵より。

スノッリ・ストゥルルソン(Snorri Sturluson, 1178年あるいは1179年 - 1241年9月23日)は、アイスランド詩人政治家歴史家(著述家)である。アイスランド語の原音に近いカタカナ表記だと ストゥトルソン(rlはtlの様に発音される)が近い。ノルウェー王朝の歴史『ヘイムスクリングラ』や『スノッリのエッダ』の著者としても知られている。優れた学者であったが、権勢欲、名誉欲の強い野心家でもあった。
生涯
生い立ち

スノッリは当時のアイスランドで最も権力を強めたストゥルラ・ソールザルソン[1](? - 1183年)の末子として[2]アイスランドのフヴァンムル・イー・ダーリルに生まれた[3][4]。父ストゥルラがレイクホルトの神父パールと遺産相続で争った際、後者に加担したヨーン・ロフツソン[5] はストゥルラを懐柔するため当時3歳だったスノッリの養父となることを申し出た。ストルゥラはこの話を受け、スノッリはヨーンの養子となり、ヨーンのもとアイスランドの学問の中心の一つオッディで学ぶこととなった[2]
青年期

スノッリは養父ヨーンが死去したのち、1199年ボルグを支配する裕福なるベルシの娘で相続者のヘルディースと結婚した。彼はしばらくオッディに留まり、1202年、ベルシの死去に伴いボルグの館へと移った[6]。ヘルディースとの間にヨーンとハルベラの2子をもうけたが、二人の結婚生活は破綻し別居するに至った[7]。スノッリは1206年、レイクホルトの神父パールの息子、神父マグヌスの屋敷に財産の管理を請負って移り住んだが、マグヌスが死去するとそこを自分の所有とし[8]ボルガル・フィヨルド一帯に広大な領地を保有するに至った。

スノッリは1215年にアイスランドの全島議会ゴジに選ばれた。この選出は義理の兄弟にあたるオッディの一族のセイムンドの引立てによるものだったが、法の宣言者の座に就くとスノッリはもっぱら自分の権力を伸ばすことに注力したため両者の関係は急速に悪化していった[9]
スカンディナヴィア渡航

1218年から1220年にかけてスノッリはスカンディナヴィアへ渡航するが、最も重要な目的はノルウェー訪問だった。当時アイスランドは首領と教会が争っており、アイスランドの教会を監督するノルウェーのニダロス(当時のノルウェーの首都、現在のトロンハイム)の大司教からの圧力を掛けられていた。また、近年起きた貿易を巡るトラブルから両国の関係は緊張しており、アイスランドをノルウェーの統治下へ入れようとする動きがあった[10]

まず、スノッリはヴィーケンにノルウェー王ホーコン4世(ホーコン・ホーコンソン)と摂政スクーリ伯(後に公)を訪ねてそこで冬を過ごし、春になると故ホーコン公の妃クリスチーネを訪問した。


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