K:キエフ N:ノヴゴロド P:ポロツク
S:スドマ川
(V:ヴィテプスク U:ウスヴャートィ)
(国境線は現在のもの)
時1021年
場所スドマ川河畔
発端ブリャチスラフのノヴゴロド襲撃
結果ヤロスラフの勝利
領土の
変化ヴィテプスク、ウスヴャートィをポロツク公国へ割譲
衝突した勢力
キエフ大公国ポロツク公国
指揮官
キエフ大公ヤロスラフポロツク公ブリャチスラフ
戦力
不明不明
被害者数
不明不明
スドマ川の戦いに関するラジヴィウ年代記中の挿絵
スドマ川の戦い(ロシア語: Битва на реке Судомири)は、1021年にスドマ川河畔で行われた戦いである。
キエフ大公ウラジーミル1世の子孫たちによる権力闘争のうちの1つであり、キエフ大公位にあったヤロスラフ1世(ウラジーミルの子)軍と、ポロツク公ブリャチスラフ(ウラジーミルの子、ヤロスラフの甥)軍が衝突し、ヤロスラフの勝利に終わった[1]。 1015年から1019年にかけての、ウラジーミル1世の子孫らによる権力闘争(ru)
過程
出典^ 『ロシア原初年代記』p166
^ ⇒Т. Н. ДЖАКСОН, AUSTR i GORDUM, гл. 8
参考文献
國本哲男他訳 『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会、1987年。
⇒Повесть временных лет
更新日時:2015年11月29日(日)10:56
取得日時:2016/01/18 13:14