ストローブス
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ストローブス
UK.オール・キャニングス公演(2012年5月)
基本情報
別名Strawberry Hill Boys
出身地 イングランドロンドン
ジャンルフォークロック
プログレッシブ・ロック
シンフォニック・ロック
ポップ・ロック
ソフト・ロック
AOR
ブルーグラス (初期)
活動期間1964年 - 1980年
1983年 -
レーベルA&Mレコード
Oyster/ポリドール・レコード
アリスタ・レコード
Chord Records
The Road Goes On Forever
ヴァージン・レコード
Witchwood Media
チェリーレッド・レコード
公式サイト ⇒strawbsweb.co.uk

メンバーデイヴ・カズンズ (G/Vo)
デイヴ・ランバート (G/Vo)
チャス・クロンク (B/Vo)
トニー・フェルナンデス (Ds)
デイヴ・ベインブリッジ (Key)

旧メンバートニー・フーパー (G/Vo)
リチャード・ハドソン (Ds)
リック・ウェイクマン (Key)
ほか 本文参照

ストローブス(Strawbs)は、イングランド出身のロックバンド

ブルーグラス・バンドとしてスタートし、1970年代にはトラッドやバロック音楽などを融合したプログレッシブ・ロックにシフト。その後はエレクトリック・ギターを導入しAOR路線にも転化するなど、時代に合わせたフォークロックの枠に囚われないスタイルを展開した。活動は60年以上に及ぶ。
概要・略歴
黎明期(1964年 - 1969年)

1964年、デイヴ・カズンズ (G/Vo)、トニー・フーパー (G/Vo)らを中心に、トリオ編成のブルーグラス・バンド「Strawberry Hill Boys」を結成[1]

1967年、バンド名を「ストローブス(The Strawbs)」と改名する。同年にフォークシンガー サンディ・デニーが短期間参加しデモを録音(後のアルバム『オール・アワ・オウン・ワーク』1973年に発表)。これはデビュー・アルバムとなる筈だったが、レーベルとの契約が流れ お蔵入りとなる。

1968年、本国に進出してきた北米のレーベル「A&Mレコード」と、英国出身グループとして初契約を締結。翌1969年セルフタイトルの1stアルバム『ストローブス・ファースト』でデビュー。ジョン・ポール・ジョーンズニッキー・ホプキンスらロックミュージシャンが協力し、フォークロック路線にシフトしていった[2]
プログレッシブ期(1970年 - 1975年)

1970年の2ndアルバム『ドラゴンフライ』に、キーボーディスト リック・ウェイクマンがゲスト参加を経て正式加入[3]。ここからトラッドやバロック音楽などを融合したプログレッシブ・ロックを展開する。ライブ録音の3rdアルバム『骨董品』や4thアルバム『魔女の森から』(1971年)は、初期の重要な作品となった。

1972年、ウェイクマンが「イエス」に移籍した後もバンドは同路線を継続し、特にデイブ・カズンズの意向でメロトロンを深く使用するようになっていった。同年発表の5thアルバム『グレイヴ・ニュー・ワールド』からはシングル『ニュー・ワールド』が生まれたが、その全編でメロトロンがさく裂している。そしてエレクトリック・ギターを本格導入するため、シンガーソングライターのデイヴ・ランバート(G/Vo)を呼び込み、入れ替わりで盟友トニー・フーパーが脱退した。

1973年に入ると、バンドのプログレ化はさらに加速。フォーク色から抜け出し、プログレ色が進化した6thアルバム『バースティング・アット・ザ・シームス』をリリース、イギリスで大ヒットを記録する。シングルカットされた『パート・オブ・ザ・ユニオン』が全英2位を記録。バンド最高位のヒット作となった。こうして、バンドは順風満帆に軌道に乗ったように思われたが、ロック化を進めるデイブ・カズンズに反発した初期のメンバー全員が脱退してしまい、カズンズとランバートだけとなる。

バンドを立て直すため、元ルネッサンスのキーボーディスト ジョン・ホウケンをメロトロンを弾くことを条件に誘い入れ、新生ストローブスがスタートする。新生ストローブスは、フォーク・ロックから完全に脱却し、プログレッシブ・ロックを目指すこととなった。これが北米を中心に幅広いファン層に受け入れられ、7thアルバム『ヒーロー・アンド・ヒロイン』や8thアルバム『幻影』といった作品が、アメリカでのセールスを伸ばす。ただし本国イギリスでのランクは6thアルバム『バースティング・アット・ザ・シームス』以降、急速に下降し元に戻ることはなかった。

8thアルバム『幻影』のツアー中である1975年に来日。しかし、このツアーを最後にジョン・ホウケンが脱退。バンドは、メロトロン主軸路線を急遽変更し、9thアルバム『ノーマッドネス』を発表。カントリーやブルースに影響されたシンプルなロックを目指したが、方向転換はファンに受け入れられずアルバムは売り上げ低迷し、A&Mレーベルから契約を打ち切られる。
AOR路線から解散まで(1976年 - 1980年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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