ストリートファイターII_MOVIE
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ストリートファイターII MOVIE
映画
監督杉井ギサブロー
制作グループ・タック
封切日1994年8月6日
上映時間102分
ゲーム:ストリートファイターII ムービー
ゲームジャンルインタラクティブ・ムービー
アドベンチャーゲーム
対応機種PlayStation[PS]
セガサターン[SS]
開発元カプコン
発売元カプコン
メディアCD-ROM2枚
プレイ人数1 - 2人
発売日PS:1995年12月15日
SS:1996年3月15日
テンプレート - ノート

『ストリートファイターII MOVIE』(ストリートファイターツー ムービー、STREET FIGHTER II MOVIE)は、アーケードゲームスーパーストリートファイターIIX』を原作としたアニメーション映画である。1994年8月6日公開。配給は東映配給収入7億円[1]。英語版タイトルは『Street Fighter II: The Animated Movie』。

また、このアニメ映画を基に、PlayStationセガサターンで発売されたゲームソフトのタイトルでもある(ゲーム版の節を参照)。

本作のタイトルロゴは『スーパーストリートファイターII』の「SUPER」の部分を「MOVIE」に差し替えたものが採用されている。
概要

本作はオリジナルゲーム版の発売元であるカプコンの自社製作にて、家庭用版『スーパーストリートファイターII』の発売と併せて劇場公開された長編アニメーション映画。単館上映ながら配収7億円とスマッシュヒットを記録。篠原涼子の歌う挿入歌「恋しさと せつなさと 心強さと」もダブルミリオンセラーの大ヒットを記録している。

ストーリーには関わらないが、豪鬼が一瞬だけカメオ出演しており、後年1995年のアニメ『ストリートファイターII V』にもモブキャラクターに混じって背景に登場している。
製作

当初、監督は池田成と発表されて製作が進められたが、後にカプコンと揉めて池田が降板、カプコンも映画の製作に消極的となる。この事態に、アニメ制作を請け負い、既に資金も受け取っていたグループ・タックのプロデューサーだった藤田健は、製作の中止は会社の倒産に繋がると危惧して、旧知の間柄だった杉井ギサブローに「今回は杉井の映画とか一切忘れて、助けると思って。とにかくスタッフも全部残っているから引き受けてほしい」と後任の監督を打診する。

成り行きで監督を打診された杉井だったが、長年カプコンと付き合いのあったプロデューサーの今井賢一が『ストリートファイターII』(以下『ストII』)を何年もかけてアニメ化しようと、勝手に自分でホテルに籠って脚本を書いていることを聞き、珍しいプロデューサーだと興味を持つ。その後、今井と面会をするが、アニメ制作の猶予が残り半年しかなく、スタッフたちの契約も1年分しかないことを聞かされ、「バトル映画を半年で作れるわけねぇじゃねえか!」「そもそもアニメ映画を作るのに何で1年なんだ。僕なら最低で1年半。最初から1年の契約なのが根本的におかしい」と憤慨。それでも、グループ・タックを倒産させるわけにもいかず、監督を引き受ることになる。

杉井は通常の3倍のスタッフを集めて3班に分け、半年で30分アニメを3つ作って繋げて90分の映画にするという荒業で映画の制作を続行するが、半年も放置されたスタッフたちはすっかりやる気をなくしており、杉井は半年で映画を完成させるには追い込みをかけるしかないと全スタッフを集め、「オープニング、イントロだけでも作って、それをカプコンに見せることになってる。全員で徹夜して追い込みしてパイロットを上げろ。それが通ったら映画がOKになる」と大嘘をついて檄を飛ばした。

スタッフたちを騙す形で製作現場をフル稼働させた杉井だったが、一方で、アニメ素人の今井がホテルから送ってくる脚本はお世辞にも出来がいいとは呼べない代物で、杉井は3班に分かれた制作編成を統括しつつ、今井の送りつけた脚本の修正作業を同時に行うことを余儀なくされた。しかし修正を行うに当たり、そもそも杉井は『ストII』の知識が皆無であったため、本屋で働いていた元アニメ関係者で、ゲーム好きだった知人の遠藤卓司を業界に呼び戻して助監督に起用し、その遠藤の知人たちを介して『ストII』の世界観を勉強することにした。

実際のゲーム画面を見て、当時の粗いドット絵に「こんなのアニメにも何もならねぇよ」と頭を抱えた杉井だったが、遠藤や彼の知人たちが話す『ストII』のキャラクターの物語に面白さを感じ、「『ストII』好きがゲームをしながら脳内で創り上げた壮大な物語を杉井が映像化する」というコンセプトを思いつき、脚本の修正に活かすことにした。また、事前にカプコンから出された制作の条件は「『ストII』の全登場人物を技と共に出すこと」であり、それを全て映画でやるのは不可能だと考えていた杉井だったが、往年の東映大映の正月企画で片岡千恵蔵市川右太衛門の主演する時代劇映画とコンセプトは同じだと考え、今井に「今回ドラマみたいなことは一切考えずに、とにかくキャラクターのアクションで見せる。ドラマはみんな取っちゃうけどいいですか?」と持ち掛けて了承を貰い、そして脚本修正の過程でカプコンとのトラブルを避けるために、今井を通して「僕はアニメーションを何十年もやっていてその道のプロだ。僕はカプコンの人たちがゲームに関して何をやろうと一切言わないから、映画は俺の仕事だから口を出さないで欲しい」とカプコンへ啖呵を切ったところ、後日から一切のチェックがなくなり、事なきを得ることに成功した。

作画監督3人を1人ずつ配置させた3班編成のアニメ制作は功を奏し、とても半年で作ったとは思えないクオリティの高い作品が出来上がった。後日、映画を鑑賞したカプコンのスタッフから「監督はなんで自分たちがゲームに込めている想いをあんなに表現できるのか良くわからない」と言われ苦笑するしかなかったという[2][3]
制作
キャラクターデザイン
担当した
村瀬修功によると、村瀬が関わる以前から複数の関係者によってアニメ用のデザインが描き起こされていたが、現行で発表されるゲームで設定されたデザインとの噛み合わせが悪く、ゲームとアニメのスタッフの双方が対立する様相を見せ始めたので、全くの無関係だった村瀬が招集され、デザインの仕上げを行うことになった。しかしこの時点では、デザインを起こすために必要な脚本や絵コンテはまだ完成しておらず、各キャラクターの表情の表現に踏み込めないまま、作業に入る必要に迫られたため、村瀬はカプコン側のデザイナーの意向に従う形で、当時の最新タイトルだった『スーパーストリートファイターIIX』のデザインを基に、従来のアニメキャラとは異なるコンセプトで作業を進めたが、現場が煮詰まっていたこともあって、村瀬が描いたラフ画が、1発でそのまま決定稿となってしまったという。村瀬は後に、「できることならもう1回ぐらい練り直したかった」と語って、満足には至らなかった心境を吐露している[4]。また劇中後半で登場する入院中の春麗が着る病床コスチュームなど、制作が進んだ段階で新たに必要となったデザインに関しては、一部を総作画監督の大島康弘が担当している[5]
衣装コンセプト
監督の杉井は、『ストII』のゲームにおける美術的な魅力は、服装の異なる各国のキャラクターが、格闘家という共通項のみで集い、決まった衣装で所構わず闘うところにあるとして、開発スタッフたちが創り上げた世界観を映画で表現できないか検討した結果、春麗やケンなどの一部のキャラクターを除いて、キャラクターの衣装を固定し、不自然なまでに着替えさせないという演出を行った。これについて杉井は、理屈ではないとして、「道着で裸足のリュウが、格闘を終えてジーパンに履き替えると、そこでリュウでなくなっちゃう。僕の中では道着を着ているリュウで通したかった」と語り、プロデューサーや他のスタッフたちから「何で着替えないんだ」と揉めても譲らず、方針を貫き通した上で、この演出が劇中で気にならないよう、格闘の情感は敢えてリアルに仕上げるという仕掛けを施したという[6]
作画
クレジットでは、総作画監督を大島康弘、作画監督を江口摩吏介と前田実が明記されているが、実際の作業分担は、主役であるリュウとケンの作監を江口が、シャドルー関係者を前田が、インターポール関係者を大島が各々受け持ち、キャミィに関しては大島がほとんどの作監を担当している。総作監の大島は、武闘(アクション)監督の東海林真一が描いた絵コンテを基に、アクションが恰好よく見える描き方に拘り、同年に大張正己監督の『餓狼伝説 -THE MOTION PICTURE-』が公開されることが決定していたので、同じテイストにならないように気を配ったと述べている[7]
音楽
クレジットでは小室哲哉鳥山雄司の連名になっているが、実際は劇伴のほとんどは鳥山が担当し、小室は「テーマソングを誰に手掛けてもらうか」の人選に務め、担当するアーティストが決まった後にもALPH LYLAのメインボーカル・BIG LIFEを率いる手島いさむに対して、「どの様な表現をするのか」について様々なアドバイスをした[8]
音響
本作の効果音は、監督の杉井の新しさを求めた拘りで、パターン化されたアニメらしい音ではなく、痛みを感じる生々しい質感の音が採用された。劇場での鑑賞用を前提に音作りがなされているため、杉井は「ビデオになったら(効果音の魅力は)半減するでしょう」と指摘している[9]
アフレコ
1994年7月2日(土)と3日(日)の2日間に亘って、東京都の西早稲田にあるアバコクリエイティブスタジオにてアフレコの収録が行われた。主要キャストの内、リュウ役の清水宏次朗とケン役の羽賀研二、春麗役の藤谷美紀、フェイロン役の船木誠勝、ベガ役の日下武史はマスコミへの宣材写真の撮影を兼ねて合同で収録を行った。1960年代から吹き替えなどでキャリアを重ねていた日下以外は、羽賀と藤谷が2度目、清水と船木は初めてのアフレコ収録であった。羽賀と藤谷は共に、格闘場面での擬音や叫びの芝居表現に苦労したと述懐し、藤谷は「台詞を言うとつい体が動いてしまう。格闘シーンでは力が入って眉間に皺が寄ってしまう」と、アフレコの難しさを吐露している。また清水は、収録の前日は緊張で眠れず、当日も顔出しとは勝手の違う芝居の表現に「生身でアクションするより難しかった」との感想を寄せている[10][11]
試写会
本作は公開日が中々決まらず、初号プリント完成記念の試写会を兼ねた披露宴は7月18日?に開催され、出演者である清水宏次朗、羽賀研二、船木誠勝、天本英世が登壇、監督の杉井ギサブローや音楽を担当した小室哲哉などが出席した。しかし披露宴に集まった報道陣の関心は、当時、梅宮アンナとの交際や借金問題で渦中にあった羽賀研二であり、記者会見での囲み取材では、羽賀に本作とは関係のない質問が集中する事態となった[12][13]
アクション

本作では、実写のアクション監督に相当する武闘監督がクレジットされているが、制作陣の中に殺陣を理解できる者がおらず、唯一、空手の経験があった東海林真一(以下、東海林)が自ら志願して殺陣の絵コンテを担当した経緯があり、後付けで作られた役職である。監督の杉井ギサブローとの打ち合わせで、劇中内での戦闘シーンを全て異なるシチュエーションで描くことになり[9]、殺陣は『ストII』のプレイヤーが鑑賞することを前提に、原作に登場する技をアクションの要所要所で披露する演出がなされた。また、物語の流れに併せて、殺陣の種類は小・中・大の3つに分割され、透過光を多用しない地味なアクションを重ねて最後にゲーム技を派手に描く構成の流れが組まれた。東海林は、殺陣のイメージを制作現場に周知させるため、映画『スパルタンX』のレーザーディスクを制作スタジオに持ち込み、ジャッキー・チェンベニー・ユキーデが闘う場面を鑑賞させて、「ここまでやらないといけないんだ」と発破を掛けたという。東海林は本作の殺陣について、「タイミングと見栄の切り方が重要だった」と述べた上で、通常のアニメでの殺陣は、流パン(流線描写で高速感を演出した上で、PAN・横移動のカメラワークを行う技法)による主観移動になりがちだが、本作ではその演出技法をNGとして使用せず、アクションの絵コンテをより細かく描くことで、殺陣の動きをアニメーターたちに把握して貰うよう努めたという[14]
リュウ対サガット
監督の杉井曰く「一騎打ちみたいな闘い方」として描かれ[9]、監督が交替してから最初に完成した劇中場面でもある[15]。お互いの飛び道具は一撃必殺として一度きりしか使用されず、原作での打撃や投げ技を中心とした殺陣となっている。また闘いの流れは、『ストリートファイター』の結末を受けてサガットの胸に傷がついた因縁が、アレンジを加えて再現されている。物語の導入部であるため、「静けさの中での闘い」が演出として強調されており、台詞も絵コンテでは一切なかったが、完成した本編では、リュウが「波動拳!」と叫んで技を放つ→タイトルという流れに変更されている[16]。この場面の絵コンテは、武闘監督の東海林も含めた複数の合作であり、議論を重ねながら作業が進められた[17]
リュウ対フェイロン
東海林曰く「一番肩に力が入って描いた」アクションであり、格闘家同士が仕切られた空間で闘う「格闘技の試合」として設定された[9]。空手の経験者でなければ理解できない絵コンテであったため、制作現場で自ら空手の動きを披露して見せたが、アニメーターたちには中々理解できないギャップが生じたという。この場面での殺陣は、ボクシング的なワン・ツーの動きではなく、香港映画のアクションの動きである「突き」と「蹴り」だけでほぼ構成されており、絵コンテでは、「決め」と「タイミング」、「手足の動き」が細かく描き込まれている[18]。劇中でのフェイロンは主に太極拳の挑掌や截拳道を駆使するが[19]、合間に南拳や蟷螂拳の構えも披露している[20]。一方のリュウは空手道を主体に、山嵐 (柔道)で相手の肩を外して一度は試合を決める技術を見せている[21]
ケン対サンダー・ホーク
監督の杉井曰く「一番ストリートファイトらしい闘い」であり[9]、絵コンテでは本田対ダルシム戦の次に描かれる戦闘シーンだったが、劇中本編では順番が入れ替わっている。サンダー・ホークはプロレス技を主体として、トマホーク・バスターはショルダータックルのような描写になっているが、モンゴリアンチョップは両腕から繰り出して相手のブロックをサンドイッチ状態で崩す効果を見せている。対してケンは蹴りを主体として、倉庫の壁を利用した三角跳びからの二段蹴りと、着地後の屈伸反動を利用した昇竜拳→波動拳(未遂)で闘いを終える流れになるが、昇竜拳から波動拳の構え迄のカットは、後にこの場面をアーカイブ映像で視たベガが、リュウとケンが同門の弟子同士だと気づくための意図的な伏線の演出として、劇中冒頭でのリュウ対サガットの構図と同じものにされている[22]
エドモンド本田対ダルシム
監督の杉井曰く「賞金を懸けて闘う俗っぽいストリートファイト」であり[9]、絵コンテではリュウ対フェイロン戦の次に描かれる戦闘シーンだったが、劇中本編ではケン対サンダー・ホーク戦と順番が入れ替わっている。この場面の殺陣は、ゲームの再現が演出として強調され、平行移動のアクションが主体となっている。原作の技もいくつか披露されているが、全体的にコミカルなアクション構成となっており、ダルシムに関しては技が控えめに表現され、絵コンテで描かれていた火を吐く描写も、本編では欠番となってカットされている[23]。武闘監督の東海林は絵コンテには関わらず、作画監督を担当しており、ダルシムの動きにヌルっとした柔軟性を持たせるため、原画のタイミングを意図的に修正している[24]
春麗対バルログ
監督の杉井曰く「格闘より死闘に近い闘い」であり[9]、監督とプロデューサー、そして武闘監督の三者三様の考えが凝縮されたアクションとなっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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