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ストリーキング(英語 streaking、ストリートキングは誤り)とは注目を集めるため、あるいは強い非難の意思を表現するために公共の場を全裸で走り抜ける行為である[1]。パフォーマンスの一環として行われるもので性的な意図はなく、露出狂とは区別される。1973年から1974年にかけて流行した。ハーバード対エール大学戦でストリーキングする全裸の男性(2006年)日本におけるストリーキングの男性(2007年) ストリーキングは、裸体主義(ヌーディズム)とは別物である。ストリーキングをする人々は、逮捕される危険を冒してまで行為におよび、大衆の目に晒されることを意図する点で、裸体主義者が平穏な活動を好むことと対照的である。またストリーキングを行う人々は、性器を見せることのみを目的としているのではない点で、露出狂とは区別される。 ストリーキングの意図は、度胸試しや性癖など様々であるが、多くは自己顕示欲を根底にした集団的熱狂の流行であろう。実行される場所も多様である。最もよく見られるのは、多くの観客が集まった競技場などを全裸で走り抜ける行為である。 しかし、一部に誰もが寝静まった深夜など、より静かな場所で行為に及ぶ者もあり、また郊外の高速道路で、交通量の少ない早朝に行うことで満足を覚える者もいる。そうした例では、自分の体を人に見せることを望んでいるわけではなく、普段は人が多くいるべき場所での、人出のない時間帯のストリーキング行為に、恐怖と興奮が入り混じったような感覚を味わっていると想像される。 また、大胆なストリーキングを収めた動画が動画共有サイトの『YouTube』や『Vimeo』をはじめ、インターネット上で人気を集めている。そこには、世界中のストリーキング愛好家たちが集まるサイトがあり、情報交換や体験談を語り合う場となっている。 クリケットの会場で女性が行うケースが多く見られる。これは「紳士のスポーツ」といわれるほど、ほとんど男性が独占する競技のあり方に対する抗議の意味がある。 毎年、フィリピンの大学では仮面をつけて、被服をすべて脱いだ全裸の状態の生徒が校舎の周りを走って社会問題に抗議する行事『オブレーション・ラン』が開催される。また、手にはバラを持っており、観衆にバラを配る。陰部を葉っぱで隠す場合もある。有名な行事の一つであるが、性器の露出に関しては大きな議論を呼んでいる。2005年12月に、韓国人と伝えられた女性が女性器を隠して参加したケースもある。これは女性の参加が控えられていることへの反感を現したものである。多くの見学者が集まる。 ストリーキングが流行の兆しを見せ始めたのは1973年頃からであるが、1974年に入るとアメリカの大学生の間で広まりを見せた[2]。また、日本では1974年3月17日に、銀座の歩行者天国でストリーキングを行ったアメリカ人女子高校生が逮捕されている[3]。 1974年4月2日にアメリカ合衆国・ロサンゼルスで開催された、第46回アカデミー賞でデヴィッド・ニーヴンがプレゼンターとして舞台に立ったとき、その後ろをロバート・オペル
解説
歴史ハーバード大学(アメリカ合衆国)での全裸のストリーキング行事
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}特にストリーキングの名を一躍有名にした出来事は、1974年4月にトゥイッケナムラグビー場でイングランドとフランスとの試合が行われている最中に、約53,000人の観客を面前にしてマイケル・オブライエン[4]という名の男性が男性器と尻を丸出しにした全裸で駆け抜けた事件とされる。彼を取り押さえた警察官が、とっさに彼の陰部を隠した帽子は、後にチャリティー・オークションで2,400ユーロで落札されたというエピソードが残っている。この事件以降「ストリーキング」という言葉が「全裸で公共の場を駆け抜ける」という意味で使われだしたが、それ以前はストリーキングという言葉は「全力疾走(streak)する」という意味で用いられてきた[要出典]。
アメリカの大学で行われるストリーキング行事ハーバード大学でのストリーキング(2002年)
これまでに、膨大な数のアメリカ合衆国の大学生たちによってストリーキングの行事が行われてきた。
ストリーキングの記録の中で、最も古いのは、1804年に現在のワシントン・アンド・リー大学の3年生ジョージ・ウイリアム・クランプ(男性)が、バージニア州レキシントンの大学キャンパスを性器を丸出しにした全裸で疾走し逮捕されたものである。クランプは大学で留年することになったが、後にアメリカの国会議員やチリの駐在大使を務めた。
1973年12月のタイム誌は、ストリーキングを「ロサンゼルス界隈の大学生を虜にしつつある流行」と評した。またその記事において、「ここだけの話、実は、過去20年間、ストリーキングは、ノートルダム大学の大学警察を悩まし続けてきていたのです。さらに、ノートルダム大学のストリーキングのグループが、1972年に行われたストリーキング・オリンピックを提案したのです」という情報提供がなされた。
1974年3月7日、ジョージア大学で1549人が参加するという最大規模のストリーキングが敢行された。この記録に続き、コロラド大学ボールダー校では1200人が、メリーランド大学では、1974年3月に553人の裸の学生が3マイルに渡ってストリーキングを行った。南カリフォルニア大学では508人がストリーキング行為に及んだ。さらに1974年、アースキン大学
では、全学生の1/4に当たる600人の学生がストリーキングをやり遂げ、「最高の参加率を誇るストリーキング」を名乗った。期末試験の最終日前夜、ハーバード大学では、学部生たちによる「産声(Primal Scream)」が行われる。学生は男女を問わず衣服を脱ぎ、ハーバードヤードを2周する。中にはパンティーを着用する人もいた。2学期制のハーバード大学では、この行事が年2回開催されるわけだが、その1回は極寒を誇るニューイングランド地方の冬に行われることになる。