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ストッパー毒島
ジャンル野球漫画
漫画
作者ハロルド作石
出版社講談社
掲載誌週刊ヤングマガジン
発表期間1996年7号 - 1998年51号
巻数ヤンマガKC/全12巻
REKC/全12巻
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『ストッパー毒島』(ストッパーぶすじま)は、週刊ヤングマガジン(講談社)1996年第7号から1998年第51号にかけて連載されたハロルド作石作の野球漫画。全12巻の単行本が同社から発売されている。
舞台は日本のプロ野球界、主人公・毒島大広の所属する架空球団「京浜アスレチックス」と、当時存在していた6球団を加えた[1] 1996年 - 1997年シーズンのパシフィック・リーグ。登場人物は、当時活躍していたプロ野球選手・監督・関係者達をモデルにしているほか、実名でも登場する。 プロ野球入りを目指す高校生・毒島大広は、非凡な才能を持ちながらも素行不良から野球部に入れてもらえず、学外での乱闘事件をきっかけに高校も退学になった。しかし毒島を中学生の頃から見ていたパ・リーグの弱小球団・京浜アスレチックスの木暮スカウトの働きもあり、1995年のドラフト会議でアスレチックスから8位指名を受ける。入団を渋る周囲の人間を自慢の剛速球で捻じ伏せた毒島は、チームのストッパー(抑え投手/クローザー)を志願し、シーズン60セーブとチームのリーグ優勝を目指して1年目から大暴れする。 パシフィック・リーグ所属の球団。昭和40年代半ばにリーグを2連覇するが、その後黒い霧事件で主力の多くを失い、優勝から28年間、Aクラスから20年間(1997年時点)遠ざかっているお荷物球団。親会社は京浜運輸だが、身売りの噂が絶えない。チームカラーは緑で、ユニフォームはオークランド・アスレチックスを真似ている。英語表記は「KEIHIN ATHLETICS」、略記「A's」。チームマスコットはキツネの「チックくん」。可愛さとはかけ離れた風貌と試合の合間に行なうやる気の感じられないダンスから、チーム同様人気はない。 本拠地は東京都世田谷区駒沢に所在する駒沢フィールド(かつて実在した駒澤野球場、および現存する駒沢オリンピック公園総合運動場硬式野球場との関連はない)。日本一の収容人員を誇るメジャーリーグ式の球場だが、7回から無料で外野席を開放するという苦肉の策を講じてもなお客が満員になる事はまずなく、取り壊しの話も具体化している。1997年シーズン最終戦で28年ぶりに満員御礼となり大入袋が関係者に振る舞われた。外観はナゴヤ球場、スコアボードは横浜スタジアムに酷似。グラウンド及びスタンドはドジャースタジアムがモデル。また、2軍球場はロッテ浦和球場がモデルとなっている。
あらすじ
京浜アスレチックス
登場人物
京浜アスレチックス・投手
毒島 大広(ぶすじま たいこう)
身長193cm、背番号55、左投げ左打ち。1978年10月22日生まれ。経歴/広橋中?間柴高校中退?京浜アスレチックス(1995年8位)本作の主人公で、アスレチックスの若きリリーフエース。幼少期は体が小さくいじめられっ子であり、幼馴染の貴恵を除いて同世代にはまともに相手にしてもらえなかった。中学時代にはすっかり腕白少年に育ち、中学時代の一時期はエースを務めていた一方で川上曰く素行も悪くなっており、評判を落としていたという。間柴高校に入学するが、中学時代に「真夏のダブルヘッダー事件」[2] を起こしたため野球部には入れず、登板機会なし。その後入団テストからのプロ入りを目指すも、ヤクルトのテストで乱闘騒ぎを起こし高校を退学になる。他球団のテストにもたどり着けず道が閉ざされかけるが、スカウトの木暮の後押しにより京浜アスレチックスに1995年ドラフト8位で入団する。MAX163km/h[3]の速球を投げる豪腕。ボールの握り方(縫い目への指の掛け方)には無関心で、握り方を気にせず直球しか投げていなかったが、結果的に投球は自然なムーヴィング・ファストボールとなって常に違う変化をし、打者を惑わせることに成功していた。