ステファーノ・ガルゼッリ
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ステファノ・ガルゼッリ
Stefano Garzelli

ジロ・デ・イタリア 2007にて
基本情報
本名Stefano Garzelli
ステファノ・ガルゼッリ
(ステファノ・ガルツェッリ)
生年月日 (1973-07-16) 1973年7月16日(50歳)
国籍 イタリア
選手情報
所属引退
分野ロードレース
役割選手
プロ経歴
1997–2000
2001–2002
2003–2004
2005–2006
2007–2012
2013メルカトーネ・ウノ
マペイ・クイックステップ
ヴィーニ・カルディローラ
リクイガス
アクア&サポーネ=カッフェ・モカンボ
ヴィーニ・ファンティーニ=セッレ・イタリア
主要レース勝利

ジロ・デ・イタリア総合優勝 (2000)山岳賞 (2009、2011)区間8勝ツール・ド・スイス (1998)
ティレーノ?アドリアティコ (2010)
最終更新日
2017年9月20日

ステファノ・ガルゼッリ(Stefano Garzelli、1973年7月16日- )は、イタリアヴァレーゼ出身の元自転車競技ロードレース選手。
経歴
1996年

ピッコロ・ジロ・ディ・ロンバルディア優勝。

1997年

マルコ・パンターニ擁するメルカトーネ・ウノ=ビアンキと契約を結びプロ転向。

パンターニのアシストとしての役割を果たす傍ら、同年のジロ・デ・イタリア(以下、ジロ)に出場し総合9位と健闘。

1998年

ジロ総合21位。

ツール・ド・スイスでは、第4、第5ステージを連覇し、総合優勝を果たす。

1999年

ティレーノ?アドリアティコ総合3位

GP・ミゲル・インドゥライン優勝

ツール・ド・フランスに初出場(総合32位)。

2000年

第18ステージを制覇した他、第20ステージ終了後にマリア・ローザを獲得。最後はフランチェスコ・カーザグランデジルベルト・シモーニとの競り合いを制して、同年のジロ総合優勝を果たす。

2001年

パオロ・ベッティーニオスカル・フレイレも在籍(ガルゼッリを加えてマペイのビッグスリーとも称された)しており、当時最強の自転車チームと評されていたマペイ・クイックステップに移籍した。

2002年

ジロにおいて、第2?第5ステージまでマリア・ローザを堅持したが、第9ステージ終了後にマペイチーム全体にドーピング疑惑が伝えられ、監督のジョルジョ・スクイツィが、利尿薬とプロベニシドの使用が発覚したという理由につき、ガルゼッリをレースから除外したことで一件落着させた。加えて同年5月21日、マペイはガルゼッリとの契約を打ち切った。

2003年

ヴィーニ・カルディローラ=サウニエル・ドゥバル(後のジェオックス・TMC)に移籍。

ジロでは第7ステージを制し、ジルベルト・シモーニに次いで総合2位に入った。

2004年

ジロ 総合6位

2005年

リクイガス(後のリクイガス・キャノンデール)に移籍。

ツール・ド・ロマンディでポイント賞を獲得

トレ・ヴァッリ・ヴァレジーネ 優勝

2006年

ルント・ウム・デン・ヘニンガー=トゥルム 優勝

トレ・ヴァッリ・ヴァレジーネを優勝。

2007年

アクア&サポーネ=カッフェ・モカンボ(後のアクア & サポーネ)に移籍。

ジロ第14、16ステージを勝利(総合16位)。

2009年

ティレーノ?アドリアティコ総合2位

ジロでは、山岳賞を獲得した他、タイムトライアルでも健闘が光り、総合7位に食い込んだ。

2010年

ティレーノ?アドリアティコ第6ステージ終了時点で、総合首位のミケーレ・スカルポーニに2秒差の総合2位につけ、最終第7ステージを迎えたが、残り40km及び20km地点に設けられたボーナスタイムを利してスカルポーニと同タイムゴールを果たし全区間を終了。そして全区間通じ、区間順位成績がスカルポーニよりも上回ったことから逆転で総合優勝を果たし[1]、加えて同レースのポイント賞も獲得。

ジロ・デ・イタリアでは、山岳タイムトライアルの第16ステージを制した。

2011年

ジロ・デ・イタリアで通算2度目の山岳賞を獲得し、アルベルト・コンタドールの主要3部門(総合、ポイント、山岳)独占を阻止した。

2013年

ヴィーニ・ファンティーニ=セッレ・イタリアに移籍。同年引退。

脚注^ガルゼッリがタイム差ゼロで逆転の総合優勝!最終スプリントは若き天才ボアッソンが制す - CYCLINGTIME.com 2010年3月17日付記事

外部リンク



ステファノ・ガルゼッリ - サイクリングアーカイヴス(英語)










ジロ・デ・イタリア総合優勝者

   










1909    ルイジ・ガンナ

1910    カルロ・ガレッティ
1911    カルロ・ガレッティ
1912    アタラチーム[注 1]
1913    カルロ・オリアーニ


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