ステパンチコヴォ村とその住人
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ステパンチコヴォ村とその住人
Село Степанчиково и его обитатели

作者フョードル・ドストエフスキー
ロシア帝国
言語ロシア語
ジャンル長編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『祖国雑記』1859年11月号-12月号
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『ステパンチコヴォ村とその住人』(ステパンチコヴォむらとそのじゅうにん、ロシア語: Село  Степанчиково  и  его  обитатели)は、フョードル・ドストエフスキーの長編小説で、1859年、ロシアの『祖国雑記』11月号と12月号に分載された。
概要.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2017年3月)

シベリヤ流刑後に、ドストエフスキーの名で発表されたものでは『伯父様の夢』に次ぎ2番目の初期作品となる。この作品も『伯父様の夢』と同様にユーモア小説の系列に属するものである。また、文壇復帰へ向けたドストエフスキーの並々ならぬ決意がこめられた作品で、兄ミハイル宛の手紙でも「私の最も優れた作品である」(1859年5月9日付[1])との自負を吐露している。

2部構成で、第1部は12章、第2部は6章からなる。この作品についてドストエフスキー自ら兄ミハイル宛の手紙で、「私はこの作品にわが魂を込め、わが血肉を分け与えたのです。(中略)ここには2つの巨大な典型的性格があります。(中略)完全にロシア的な、それでいていままでロシア文学によって十分に示されなかった性格があります」と述べている。(1859年5月9日付[2])この手紙はシベリアのセミパラチンスクから兄宛に出されたもので、この時点ではドストエフスキーのシベリア生活はまだ終わっていなかった。そのことは、この作品がまだ厳しい検閲下で書かれたことを考慮する必要がある。

伯父様の夢』と並んであえてユーモア手法を採用したこともドストエフスキーが検閲を意識していたことは充分考えられる。そして、ここに描かれた「2つの巨大な典型的性格」も当時のロシアにおける保守的性格に属するものである。しかも、その1つの典型的性格であるファマー・フォミッチは、まさにロシア正教農奴制を擁護したニコライ・ゴーゴリの『交友書簡抜粋』の思想を体現するといってもよい人物として描かれているのである。ペトラシェフスキー事件でドストエフスキーが逮捕・投獄された容疑が、ゴーゴリの『交友書簡抜粋』を反動的であるとして痛烈に批判したヴィッサリオン・ベリンスキーの『ゴーゴリへの手紙』を会員仲間の前で朗読したことによるものであったことを考えれば、そこにはきわめて複雑な思いがあったであろうことは推察できる。

この作品は「私」=セルゲイ・アレクサンドロヴィッチ(セリージャ)が語り手となって物語が進行する。登場する「2つの巨大な典型的性格」とは、1人は伯父のイェゴール・イリイッチ・ロスターニェフ大佐であり、もう1人は伯父の家に君臨するファマー・フォミッチである。「私」は幼い頃に両親を失い伯父の元で育てられた。誠実で、寛容で無邪気なほどのお人好しである伯父に対しては深い感謝と尊敬の念を抱いている。「私」は、今は実家を離れて都会暮らしをしているが、伯父から実家に来るようにとの手紙を受け取る。そこには結婚相手を紹介するとも書いてあった。その女性との結婚に期待をかけて「私」は実家に戻るが、そこにはとんでもない出来事が待っていたのである。

伯父の家には、娘と息子と叔母の他に、母親とその取り巻きや親戚筋にあたる資産家の女性と貧乏貴族青年、さらに子供達の家庭教師している若い女性などが暮らしていた。伯父が「私」に結婚相手として薦めようとしていたのは、この家庭教師だったのだが、実は、伯父はこの家庭教師のことを内心では深く愛していたのである。しかし、母親もその取り巻き連も伯父を親戚筋にあたる資産家の女性と結婚させようとしていて、その家庭教師をできれば家から追い出したいと考えていたのである。母親と取り巻きだけならまだしもそこにファマー・フォミッチというやっかいな男が伯父の前にたちはだかることになる。この男は、母親の亡夫である退役将軍の書生をしていたのであるが、夫が健在の頃は言ってみれば気むずかしい夫の小間使いであり、打たれ役であり、道化役であったのだが、少しずつ夫の陰で権勢を伸ばし、夫人に取り入って、夫が亡くなってからは完全に将軍夫人をも支配下に治めてしまったのである。しかもあろうことかファマー・フォミッチは将軍夫人の自分への崇拝と畏敬の感情をうまく利用して伯父の家でまさに自分こそがご主人様であるかのごとくに君臨していたのである。彼は、家の召使いや農奴たちには容赦のない男だったが、同時に主人たる伯父に対しても貴族としての徳行を示すべきだと容赦のない注文をつけてくる。お人好しで善良な伯父は、歳の離れた若い娘との結婚はやはり他の者たちにも受け容れられないだろうと、自分の気持ちを抑え、思案のうえひねり出したのが、甥である「私」とその女性との結婚という案だった。それならば、これから先も彼女を自分の家に置いておけるというわけだ。「私」はたんなるダシに使われるだけの存在すぎないのであるが、伯父の本心を知ったあともけっして伯父への恨みを持つことはなかった。初めは期待が裏切られショックを受けるが伯父の誠実で善良な性格を知っているので、むしろ彼を援護する側にまわることになる。母親とファマー・フォミッチなどその取り巻き連中と伯父との対決は、まさに活劇そのものである。ファマー・フォミッチの目もくらむような圧倒的な弁舌の前に、伯父の運命はもはや決せられたも同然であるが、ファマー・フォミッチは最後にどんでん返しをやってのけるのであった。

「私」は最後までファマー・フォミッチに対しては反感の情を失わないが、結局ファマー・フォミッチは、まるで手品師のようにすべてをまるく収めて、相変わらずご主人様のように君臨し続けたのである。しかも伯父の彼に対する敬愛の気持ちも最後まで揺らぐことはなかったというわけである。ファマー・フォミッチという人物に対する反感と受容、ここにドストエフスキーの葛藤をみることができるのではないだろうか。


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