スティーヴ・マリオット
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スティーヴ・マリオット
スティーヴ・マリオット(1973年)
基本情報
出生名Stephen Peter Marriott
生誕 (1947-01-30) 1947年1月30日
出身地 イングランド ロンドン・マナーパーク
死没 (1991-04-20) 1991年4月20日(44歳没)
ジャンルR&Bロックブルースロックブルー・アイド・ソウル
職業シンガーソングライターミュージシャンプロデューサー子役
担当楽器ボーカルギターキーボードピアノハーモニカドラムス
活動期間1960年 - 1991年
レーベルデッカ・レコードイミディエイト・レコードA&Mレコードアトコ・レコード
共同作業者スモール・フェイセスハンブル・パイ
公式サイト ⇒www.stevemarriott.co.uk
著名使用楽器
Gretsch 6120Gibson Les Paul CustomGibson ES-335

スティーヴ・マリオット(Steve Marriott、1947年1月30日 - 1991年4月20日)は、イングランドロック・ミュージシャン。ボーカリスト、ギタリスト、ソングライター。1965年から1969年までスモール・フェイセス、1969年から1975年までハンブル・パイに在籍し、その後はソロで精力的に活動した。

その独自の歌唱方法は、後のブリティッシュ・ロック・シーンに多大なる影響を与えた。
概要

1960年から1970年代にかけてブリティッシュ・ロック及びブリティッシュ・ソウルの最良のボーカリストの一人として広く賞賛され、多くのフォロワーを生み出した。身長162cmと小柄ながら、R&Bに敬意を払ったソウルフルで迫力のある歌唱力を持つ。

ブラックミュージックにロック的解釈を施したカバーも多く手がけ、特にレイ・チャールズの「アイ・ドント・ニード・ノー・ドクター」を、ハンブル・パイ時代から晩年まで必ずコンサートのセット・リストに入れていた。

ソングライター、ギタリストとしても高い評価を得ている。
経歴
子役時代

幼少時から子役として舞台で活躍し、イアン・カーマイケルと『オリバー!』に出演した。

10代初期には2本の映画に出演し、その1本ではピーター・セラーズと共演した。
音楽活動初期

子役時代に『オリバー!』で既にレコードを出していたが、ソロ作品を経て、モーメンツ(The Moments)にリード・ボーカルとして参加。モーメンツはキンクスのカバー「ユー・リアリー・ガット・ミー」を発表したが、ヒットは結びつかず、挫折して解散。

以下はマリオット中心の記述であるので、各バンドの詳細な活動についてはリンク先を参照のこと。
スモール・フェイセス

マリオットはロンドンの楽器屋で働き、そこでロニー・レーンらと出会って1965年にスモール・フェイセスを結成。長きにわたる本格的な音楽活動のスタートを切った。詳細は「スモール・フェイセズ」を参照

スモール・フェイセスは、1960年代後半のイギリスで最も成功したポップ・グループの一つである。マリオットは自作やベーシストのレーンとの共作で、「オール・オア・ナッシング」「イチクー・パーク」「レイジー・サンデー」「ティン・ソルジャー」といったヒット曲を出した。しかし、グループがティーンエイジャーのポップグループとして人気が高まったことと、アメリカ市場で成功できなかったことに不満を感じて、1969年、ライブを途中で放棄し[注釈 1]突然グループを脱退した[1]
ハンブル・パイ

スモール・フェイセス脱退直後、ギタリストのピーター・フランプトン(元ザ・ハード)、ドラマーのジェリー・シャーリー、ベーシストのグレッグ・リドリー(元スプーキー・トゥース)とハンブル・パイを結成する。よく勘違いされるが、結成のきっかけはマリオットではなくフランプトンの呼びかけだった[要出典]。詳細は「ハンブル・パイ」を参照
初期

彼等はエセックスのマリオットの自宅でのリハーサルを行なった後、スモール・フェイセスが1967年2月に契約を結んだ[2]アンドリュー・ルーグ・オールダムイミディエイト・レコードから、ファースト・アルバム『アズ・セイフ・アズ・イエスタデイ・イズ』を発表した。


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