スティーヴ・マックイーン
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この項目では、アメリカ合衆国の俳優について説明しています。

イギリスの映画監督については「スティーヴ・マックイーン (映画監督)」をご覧ください。

プリファブ・スプラウトのアルバムについては「スティーヴ・マックイーン (アルバム)」をご覧ください。

Steve McQueen
スティーブ・マックイーン
1968年
本名Terrence Steven McQueen
生年月日 (1930-03-24) 1930年3月24日
没年月日 (1980-11-07) 1980年11月7日(50歳没)
出生地 アメリカ合衆国インディアナ州ビーチグローブ
死没地 メキシコチワワ州シウダー・フアレス
身長177 cm
活動期間1952年 - 1980年
配偶者ニール・アダムス(英語版)(1956年 - 1972年)
アリ・マッグロー(1973年 - 1978年)
バーバラ・ミンティ(1980年)
著名な家族チャド・マックイーン(長男)
テリー・レスリー・マックイーン(長女。1959年 - 1988年)[1]
スティーブン・R・マックイーン(孫、チャドの子)
モリー・マックイーン(孫・テリーの子)
主な作品
映画
荒野の七人
大脱走
ネバダ・スミス
シンシナティ・キッド
砲艦サンパブロ
華麗なる賭け
ブリット
栄光のル・マン
ゲッタウェイ
パピヨン
タワーリング・インフェルノ
ハンター』テレビドラマ
拳銃無宿
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テレンス・スティーブン・マックイーン(Terence Steven "Steve" McQueen、1930年3月24日 - 1980年11月7日)は、アメリカ合衆国俳優

「キング・オブ・クール("The King of Cool")」と呼ばれ、「アンチヒーロー」としてのキャラクターは1960年代の反体制文化にも共通するものがあり、1960年代から1970年代にかけてトップ俳優としての地位を確立した。スタント・パーソンに頼らない本格的アクション俳優として一時代を築き、世界中の映画ファンを熱狂させた。マックイーンは『砲艦サンパブロ』でアカデミー賞にノミネートされている。その他の代表作としては『大脱走』、『荒野の七人』、『シンシナティ・キッド』、『ブリット』、『ゲッタウェイ[2]、『華麗なる賭け』、『タワーリング・インフェルノ』、『パピヨン』などがある。1974年には世界で最も高給取りの映画スターとなったが、その後4年間映画に出演することは無かった。マックイーンは監督プロデューサーと対立しがちであったが、その高い人気故にトップスターの地位に留まり続けた。

女優のニール・アダムス(英語版)、アリ・マッグローバーバラ・ミンティと3度の結婚をした。長男のチャド・マックイーンと、チャドの息子スティーブン・R・マックイーン、長女テリーの娘モリー・マックイーンも俳優。
生い立ち

マックイーンは1930年3月24日インディアナ州ビーチグローブの聖フランシス病院で生まれる[3][4][5]。父親のウィリアム・テレンス・マックイーンは曲技飛行のスタントパイロットであり、母親のジュリア・アン(旧姓クロフォード)はアルコール依存症であった[6][7]:7-8[8][9]。2人はマックイーンが生後6か月の時に離婚した[4]。ジュリアは幼子の面倒を見ることができず、1933年にミズーリ州スレーターの両親(ヴィクターとリリアン)の元にマックイーンを預けた。間もなく世界恐慌が始まり、マックイーンと祖父母はリリアンの兄、クロードがスレーターで営む農場に移り住んだ[4]。マックイーンはカトリックとして育てられた[10][11]

マックイーンはクロードの農場に住んでいた時代について、後に以下のように述べている。「彼は非常に良い男で、非常に強く、非常に公平だった。私は彼から多くのことを学んだ。[4]」クロードはマックイーンが4歳の誕生日に赤い三輪車を与え、マックイーンは後にこれがレースに関心を抱くきっかけとなったと語っている[4]。8歳の時に彼は母親によってインディアナポリスに連れて行かれ、母の新しい夫と共に暮らした。マックイーンは農場を去るときの特別な思い出を語っている。「クロードおじさんの農場を離れる日、彼は私に個人的な餞別 - 銘がケースの内側にある金の懐中時計 - をプレゼントしてくれた。」その銘は「私の息子だったスティーブへ」とあった[7]

ディスレクシアと幼い頃の耳の感染症により部分的な難聴があったため[4]、スティーブは新しい生活になじむことができなかった。継父は彼を叩き、彼は9歳で家を出て悪さをするようになった[6]。すぐにストリートギャングに仲間入りし、微罪を繰り返した[4]。母親は彼の振る舞いをコントロールできず、彼をスレーターに送り返した。マックイーンが12歳の時、ジュリアはクロードに対して、ロサンゼルスの新居で彼女と共に暮らすため息子を引き取りたいと手紙を書いた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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