この項目では、元プロレスラーについて説明しています。シリアルキラーについては「スティーブ・ライト (シリアルキラー)」をご覧ください。
スティーブ・ライト
プロフィール
リングネームスティーブ・ライト
本名ステファン・ライト
ニックネーム英国の魔術師
身長185cm
体重95kg(全盛時)
誕生日 (1953-12-24) 1953年12月24日(67歳)[1]
出身地 イギリス
イングランド
チェシャー州ウォリントン[1]
トレーナービリー・ライリー[1]
テッド・ベトリー[1]
デビュー1969年[1]
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スティーブ・ライト(Stephen "Steve" Wright、1953年12月24日 - )は、イギリス・チェシャー州ウォリントン出身の元プロレスラー[1]。生年月日は1952年12月12日ともされる[2]。
イギリスやドイツなどヨーロッパを主戦場に、日本では1970年代半ばから1980年代にかけて、新日本プロレスのリングで活躍[2]。ヨーロピアン・スタイルの洗練されたレスリング技術と、軽業師を思わせるアクロバティックな動きを武器に、初代タイガーマスクらと好試合を展開した[2][3]。
息子のアレックス・ライトも元プロレスラーであり、1990年代にアメリカのWCWで活動した(嫌米ギミックのドイツ人ヒール "ベルリン として知られる)[4][5]。目次 ビリー・ライリー・ジムでトレーニングを積み[2]、1969年に英国のジョイント・プロモーションズにてデビュー。1972年に旧西ドイツに渡り、当時のAWA世界ヘビー級王者バーン・ガニアとも対戦している[3]。1974年はメキシコのEMLLに遠征[6]、その提携ルートでアメリカのNWAロサンゼルス地区(NWAハリウッド・レスリング)でも試合を行った[7][8]。 1975年1月、新日本プロレスに初来日[9]。以降も新日本の常連外国人選手となり、1977年10月の来日では、負傷したクルト・フォン・ストロハイムの代打としてパット・パターソンのパートナーに起用され、12月8日に蔵前国技館にて坂口征二&ストロング小林の北米タッグ王座に挑戦した[2][10]。 1980年2月から3月にかけてはカナダのカルガリー地区(スチュ・ハートが主宰していたスタンピード・レスリング)に参戦。同じ英国人のダイナマイト・キッドとの連戦も行われた[11]。 1982年3月には新日本プロレスの第5回MSGシリーズに来日(リーグ戦には不参加)[12]。3月4日に後楽園ホール、4月1日に蔵前国技館にて、タイガーマスクのWWFジュニアヘビー級王座に連続挑戦し、名勝負を残している[2][3]。なお、木戸修はライトについて「自分が戦ったレスラーでは一番上手かった」と語っている[13]。 ヨーロッパでは1980年代よりドイツのニュルンベルクに居住し、ポール・バーガーやアルフレッド・ジーグラーのプロモーションで活動[8]。1985年12月20日にはオットー・ワンツ主宰のCWAにて、前王者トニー・セント・クレアーの返上で空位となっていたCWA世界ミドル級王座をトーナメントに勝ち抜いて獲得[14]。以降、1987年7月にミレ・ツルノに敗れ一度はタイトルを失うも、マーク・ロコ、トム・プリチャード、新日本プロレスから遠征してきた山田恵一、越中詩郎、ヒロ斎藤らを相手に防衛を重ね、1990年から1991年にかけてはデイブ・フィンレイを相手に王座を巡る抗争を展開した[14][15]。
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴