スティーブ・ヤング
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この項目では、NFLの選手について説明しています。その他の同名の人物については「スティーヴ・ヤング (曖昧さ回避)」をご覧ください。

スティーブ・ヤングSteve Young
スティーブ・ヤング(2012年)
基本情報
ポジションクォーターバック
生年月日1961年10月11日
出身地 アメリカ合衆国
ユタ州ソルトレイクシティ
身長:6' 2" =約188cm
体重:215 lb =約97.5kg
経歴
大学ブリガムヤング大学
NFLドラフト1984年 / 補充ドラフト1巡目
初出場年1985年
初出場チームタンパベイ・バッカニアーズ
所属歴



ロサンゼルス・エクスプレス (USFL)(1984-1985)

タンパベイ・バッカニアーズ (1985-1986)

サンフランシスコ・フォーティナイナーズ (1987-1999)


受賞歴・記録



プロボウル選出:7回(1992年-1998年)

オールプロ選出:3回(1992年-1994年)

最優秀選手:2回(1992年、1994年)

最優秀攻撃選手:1回(1992年)

第29回スーパーボウルMVP

バート・ベル賞(1992年、1994年)

デービー・オブライエン賞(1983年)

サンフランシスコ・フォーティナイナーズ永久欠番 #8

NFL 通算成績

TD/INT232/107
通算パス獲得ヤード33,124
パス成功率64.3%
QBレイティング96.8
ラン獲得ヤード4,239ヤード
TDラン43回
Player stats at ⇒NFL.com


Player stats at PFR
NFL殿堂入り
カレッジフットボール殿堂入り

スティーブ・ヤング(Jon Steven Young, 1961年10月11日 - )はユタ州ソルトレイクシティ出身のプロフットボールNFLの元選手。左投げのQB。1992年、1994年にはシーズンMVPに選出され、第29回スーパーボウルではスーパーボウル記録(英語版)である6本のタッチダウンパスを決めてMVPに選ばれている。2005年に左利きのQBとして初めてプロフットボール殿堂入りを果たした。末日聖徒イエス・キリスト教会ブリガム・ヤング来孫にあたる。
経歴
プロ入りまで

ソルトレイクシティで生まれ育ったが8歳のときに家族と共にコネティカット州グリニッジに移った[1]。グリニッジ高校時代にはチームのオフェンスがランプレーを主としていたこともあり、267回のキャリーで1928ヤードを獲得した一方パスはわずか41%しか成功していなかった。バスケットボールでも1試合平均15得点、野球では打率.384で投手として出場した試合以外では中堅手となった。投手としては5勝1敗でノーヒットノーランも達成している。

大学進学の際にはラッシング能力を買われてノースカロライナ大学から声がかかったがブリガムヤング大学へ進学した。パス能力に欠けた彼は高い身体能力を生かしてDB(ディフェンスバック)への転向もコーチに検討されたが努力の末にQBとして開花し、ジム・マクマーンの大学記録を破った。4年次の1983年には3902ヤードを投げてタッチダウンパス33回、パス成功率71.3%(NCAA記録)を記録した。またランでも544ヤードを獲得した。ヤングに率いられたブリガムヤング大学はチームオフェンスでも1試合平均584.2ヤードを獲得し(うち370.5ヤードがヤングのパス及びランによるもの)、こちらもNCAA記録であった。この年チームは11勝1敗で終了し、彼はオールアメリカンに選出されると共にハイズマン賞の投票でもネブラスカ大学のRBマイク・ロウジャーに次いで2位となった。カレッジフットボール最高のQBに贈られるデービー・オブライエン賞を受賞し大学最後の試合となった1983年のホリデーボウルでは21-17でミズーリ大学を破った。先発出場した3シーズンで彼は592本のパスを成功させて7733ヤードを獲得、56タッチダウンパスを成功させると共に1048ヤードを走り18タッチダウンをあげた。彼は2001年にカレッジフットボールの殿堂入りを果たした。
USFL

1984年に、1983年に新設された新興リーグUSFL(United States Foolball League)のロサンゼルス・エクスプレス(英語版)と10年間で4000万ドルで契約入団した。この金額はマイク・ロジェールやハーシェル・ウォーカーを超えた史上最高額の契約であった。チームには後にNFLでもプレーするジョジョ・タウンゼル、メル・グレイ、ケビン・ネルソンなどのタレントがおりプレーオフに進出したがチームはロサンゼルスのファンの支持を得ることができなかった。この年、大学卒業に必要な単位が残っていたこともあり彼は6試合に欠場した後12試合に先発出場した。プロフットボール史上初の同じ試合でパスで300ヤード、ランで100ヤード獲得した選手となった。

1985年にチームオーナーのウィリアム・オルデンバーグは破産し、リーグは新しいチームの買い手を探したが見つからなかった。シーズンは惨憺たるものになり、ある試合の前にはチームバスの運転手が給料の支払いが滞っているために運転を拒否する有様であった。多くの契約金をもらっていたヤングは何人かのチームメートや運転手にお金を与え試合に臨んだ。この試合健康なランニングバックがいなかったため、ヤングはテールバックの位置についてショットガンフォーメーションでプレーした。

リーグはその年限りで解散したため、ヤングやハーシェル・ウォーカー、メル・グレイ、レジー・ホワイトジム・ケリーダグ・フルーティダグ・ウィリアムスら所属していた選手の多くは補充ドラフトでNFLに移籍することとなった。
バッカニアーズ時代

ヤングは1986年タンパベイ・バッカニアーズに加入し、2シーズン在籍したがいずれのシーズンも2勝14敗に終わり、ヤングは合計19試合に先発するが3勝16敗という散々な結果に終わった。個人成績も11タッチダウン、21インターセプトでパス成功率は55%を下回った。ビル・ウォルシュがヤングの潜在能力に興味を持ち獲得の意思を示したこともあり、バッカニアーズは1987年のNFLドラフトで、全米No.1となったマイアミ大学のQBビニー・テスタバーディを指名し、同年4月24日にヤングはドラフト2巡目、4巡目指名権と引き換えにサンフランシスコ・フォーティナイナーズ(以下ナイナーズ)に放出された[1][2]
モンタナの控え

ナイナーズに加入後数年はスーパースターQBジョー・モンタナのバックアップとなった。出場機会は多くなかったが、1987年シカゴ・ベアーズ戦で第1Qにモンタナが退場するとリリーフとして出場し4タッチダウンパスを投げてこの試合は41-0でナイナーズが勝利した。ミネソタ・バイキングスとのNFCチャンピオンシップゲームでモンタナと途中交代し、2TDをあげた。

1988年、第2週で移籍後、初先発したが3ファンブルを喫し、モンタナと交代された。第4週のデンバー・ブロンコス戦でスティーブ・ウィルソンにインターセプトされ、オーバータイムで敗れた。第8週のシカゴ・ベアーズ戦では途中出場したが、1点差で敗れた。10月30日のミネソタ・バイキングス戦に先発出場していた彼はジョン・テイラーへの73ヤードのタッチダウンパスも決めると共に自身の49ヤードタッチダウンランで24-21で勝利し前シーズンのプレーオフの借りを返した。フェニックス・カージナルス戦で試合終了と同時に逆転TDを決められ1点差で敗れた。翌週からはモンタナが先発QBに復帰した。


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