スティーブ・デイビス
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この項目では、イギリスのビリヤード選手について説明しています。その他の用法については「スティーブ・デービス」をご覧ください。

スティーブ・デイビスワルシャワでの競技(2007年)
生誕 (1957-08-22) 1957年8月22日(66歳)
ロンドン、プラムステッド
イングランド
愛称The Nugget,
Interesting,
Ginger Magician
プロ期間1978年–2014年
最高ランク1位(7年連続)
獲得賞金GB£5,568,680
最高連続得点147点 (1982年 Lada Classic)[1]
トーナメント成績
公式戦28勝
非公式戦47勝
世界選手権1981年、1983年、1984年、1987年、1988年、1989年

スティーブ・デイビス(Steve Davis OBE1957年8月22日 - )は、イギリスプロビリヤード選手。ロンドン出身。

スヌーカー界の伝説的プレーヤーの一人で、世界スヌーカー選手権を6回制覇している一方で、1990年代以降ナインボールの世界でも活躍している。
略歴
スヌーカー

12歳でスヌーカーを始め、1976年にイギリスのU-19ビリヤード選手権に勝利。1978年にプロに転向し、翌1979年には早くも世界選手権に出場を果たすが、1回戦でデニス・テイラーに敗北。

1980年には、前年の世界チャンピオンであるテリー・グリフィスを破るなどの活躍で準々決勝まで進出したほか、UKチャンピオンシップを制し初のメジャータイトルを獲得。1981年には世界選手権を初制覇し、以後1983年1984年1987年1988年1989年と世界選手権を6回制覇。プレミアスヌーカーリーグでも1987年?1990年にかけて4連覇を達成するなど、文字通り1980年代のプロスヌーカー界を代表するプレイヤーとなった。

ただ一般には、1985年の世界選手権決勝においてデニス・テイラーと演じた死闘が伝説として語られている。18フレーム先取で争われる決勝において、デイビスとテイラーは抜きつ抜かれつの接戦を演じた結果17-17のタイスコアで最終フレームに突入。ここでテイラーが黒のカラーボールを残し、この黒球をポットした方が優勝という事態になったが、数回セフティの応酬があった後にデイビスがミスショットを犯し、最終的にテイラーが黒球をポットし優勝。この瞬間(午前0時20分)のBBCのテレビ中継の視聴者数は1850万人に及び、イギリスにおける深夜放送視聴者数の記録となっているほか[2]2002年にイギリスのチャンネル4が行った「スポーツにおける最も偉大な瞬間」投票において第9位に選ばれた[3]

1990年代以降はジミー・ホワイト、スティーブン・ヘンドリーらの台頭により、デイビスは世界選手権の優勝からは遠ざかっているが、以後もスヌーカー界のトッププレイヤーとして活躍を続けた。2007 - 2008シーズン終了時までスヌーカー世界ランキングのトップ16を維持し続けてきたものの、さすがに年齢による衰えは否めず、2008 - 2009シーズン終了時のランキングでは29位となりトップ16から転落してしまった。

2013 - 2014シーズンを最後にスヌーカーツアーからの引退を表明[4]。しかし世界プロフェッショナルビリヤード・スヌーカー連盟(WPBSA)では、長年のスヌーカー界への貢献を考慮しデイビスに事実上の永久シード権を与え、世界選手権を含むランキングイベントに今後も(本人が望めば)出場できることになった(他にスティーブン・ヘンドリー、ジェームズ・ワタナにも同様の権利が贈られている)[4]。引退後はイギリス各地でスヌーカー選手向けの指導を行う教室を開いており、各地を巡回しながら後進の指導に当たっている。
ナインボール

1994年にデイビスはナインボールの世界に進出し、ゴルフライダーカップに範を取って同年にスタートした、欧州とアメリカのチーム対抗戦であるモスコニ・カップに参加。1995年2002年には欧州チームの一員としてモスコニ・カップの勝利に貢献した。

以後スヌーカーのオフシーズンを中心に、世界ナインボール選手権などナインボールの大会にも参加し続けている。
その他

1988年にはBBC・スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー賞に選ばれたほか、大英帝国勲章の一つであるMBEを受章。2001年にはOBEを受章している。

またビリヤード以外の世界でもデイビスは活躍しており、1983年にはイギリスのチャンネル4で「The Steve Davis Sports Quiz」のホストを務めたほか、後にイギリスのラジオ局・The Superstationで「Steve Davis' Interesting Soul」という音楽番組も担当していた。チェスプレイヤーとしても有名で、一時英国チェス連盟の会長を務めていたこともある。近年はポーカープレイヤーとしても大会に出場したりしている。
外部リンク

Steve Davis(World Snookerによるプロフィール)

Steve Davis(Matchroom Sportによるプロフィール)

脚注[脚注の使い方]^ Chris Turner. “ ⇒Maximum Breaks: Official Maximum Breaks Made in Competition”. 2007年4月24日閲覧。


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