スティーブ・チルコット
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スティーブ・チルコット
Steve Chilcott基本情報
国籍
アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州ランカスター
生年月日 (1948-09-23) 1948年9月23日(75歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション捕手
プロ入り1966年 ニューヨーク・メッツから1巡目(全体1位)で指名
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


アンテロープバレー高校(英語版)

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スティーブン・リン・チルコット(Steven Lynn Chilcott、1948年9月23日 - )は、カリフォルニア州ランカスター出身の元プロ野球選手捕手)。右投左打。

1966年のMLBドラフトニューヨーク・メッツから全体1位で指名され[1]、1972年まで捕手としてマイナーリーグでプレーしたが、故障もあってメジャーに一度も昇格することなく現役を引退した。
経歴
プロ入り以前

カリフォルニア州ランカスターで生まれ、地元のアンテロープバレー高校に通った[2]

高校時代は強打の左打者、強肩の捕手として3度のタイトルを獲得したと同時に、アメリカンフットボールチームのスタークオーターバックとしてチャンピオンシップに導いている[3]
メッツ傘下時代

1966年MLBドラフトニューヨーク・メッツから全体1位で指名されプロ入り[4]。この直後の全体2位でカンザスシティ・アスレチックスに指名されたのが、後に殿堂入り選手となるレジー・ジャクソンである。

1967年、当時の同クラスの選手の平均年齢よりも3歳若い18歳ながら、傘下A+級フロリダ・ステートリーグのウィンターヘイブン・メッツに昇格した。ここでは79試合に出場して5失策、18捕逸と守備に難があったものの、打率.290、6本塁打と順調に成長していた。しかし、7月23日の試合で走者として二塁ベース上にいたチルコットに対して投手が牽制した。その帰塁の際に右腕をベースにぶつけ肩を脱臼。この負傷でシーズン終了となってしまった[5]

この負傷以降は、慢性的な肩の故障に加えてファウルチップで指を骨折し、走塁中にスプリンクラーに足を取られて転倒して膝蓋骨を骨折するなど怪我に悩まされた。そのため、1968年は19試合、1969年は7試合の出場に留まった。この間のリハビリについて「当時はスポーツ医学が未熟で、ウェイトリフティングの様なことをしていた。現在の常識からかけ離れたことをしていた。」と後年語っている[6]

1970年にAAA級での22試合を含む78試合に出場し、1971年にはA級カリフォルニアリーグバイセイリア・メッツで91試合に出場して打率.260、17本塁打と持ち直しつつあったものの、オフにチームから自由契約となった。
ヤンキース傘下時代

1972年ニューヨーク・ヤンキースと契約したが、A級で6試合、AA級で18試合しか出場出来ず、この年限りで自由契約となった。

この年を最後に24歳で現役を引退した[7]

2020年シーズン終了時点で、ドラフト全体1位で指名されたもののメジャーリーグでプレーすることなく現役を引退した選手は、チルコットの他には1991年の全体1位指名だったブリエン・テイラーのみである。
引退後

引退後はサンタバーバラ・シティ・カレッジに入学した。在学中にパートタイムの、卒業後にフルタイムの消防士となり、1970年代半ばまでサンタバーバラ消防署で働いていた。

その後、フルタイムの建設請負業者になり、カリフォルニア州とアリゾナ州で家の建設とリフォームを行っている傍ら、リトルリーグのコーチをしている[8]
脚注^ “ ⇒First Year Player Draft History”. mlb.com. 2015年12月5日閲覧。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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