スティーブ・カールトン
Steve Carlton2008年オールスターゲームのパレードにて
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地フロリダ州マイアミ
生年月日 (1944-12-22) 1944年12月22日(79歳)
身長
体重6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り1963年
初出場1965年4月12日
最終出場1988年4月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
セントルイス・カージナルス (1965 - 1971)
フィラデルフィア・フィリーズ (1972 - 1986)
サンフランシスコ・ジャイアンツ (1986)
シカゴ・ホワイトソックス (1986)
クリーブランド・インディアンス (1987)
ミネソタ・ツインズ (1987 - 1988)
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年1994年
得票率95.82%
選出方法BBWAA選出
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スティーブン・ノーマン・カールトン(Steven Norman Carlton, 1944年12月22日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の元プロ野球選手(投手)。ニックネームは「Lefty」。左投左打。メジャーリーグ生涯最多ボーク記録保持者[1]。 1963年10月8日にセントルイス・カージナルスと契約。1964年はA級とAA級合計で15勝6敗、防御率2.22の好成績を記録し、1965年4月12日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビュー。 1966年は開幕をマイナーで迎えたが7月にメジャーに昇格し、8月5日のニューヨーク・メッツ戦でメジャー初勝利を完投で飾り、8月22日のヒューストン・アストロズ戦でメジャー初完封を記録するなど3勝を挙げる。 1967年は5月から先発ローテーションに定着。14勝9敗1セーブ、防御率2.98を記録し、チームのリーグ優勝に貢献。ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズでは第5戦に先発し、6回1失点(自責点0)と好投するが、打線の援護がなく敗戦投手。チームは4勝3敗でワールドチャンピオンとなった。1968年は自身初のオールスターゲームに選出される。13勝11敗、防御率2.99の成績で、チームはリーグ連覇。デトロイト・タイガースとのワールドシリーズでは2試合のリリーフ登板のみで、チームは3勝4敗で敗退した。オフの日米野球にカージナルスの一員として参加し、対戦した東京オリオンズのエース成田文男のスライダーに興味を持ち、これを習得する。1969年は9月15日のメッツ戦で当時のMLB記録となる19奪三振を記録したが、敗戦投手となった。17勝11敗、防御率2.17、210奪三振の好成績を記録。防御率は終盤まで1点台を維持していたが、最終登板で打ち込まれてリーグ2位だった。1970年は不調でリーグワーストの19敗を喫した。1971年はリーグ2位タイの20勝を記録。 1972年2月25日にリック・ワイズ
経歴
セントルイス・カージナルス時代(1965年 - 1971年)
フィラデルフィア・フィリーズ時代(1972年 - 1986年)フィリーズ時代のカールトン(1983年)
1980年は8連勝を記録するなど前半戦だけで14勝を挙げる。24勝9敗、防御率2.34、286奪三振の成績で最多勝・最多奪三振の二冠を獲得、チームの2年ぶり地区優勝の原動力となる。ヒューストン・アストロズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発して7回1失点で勝利投手となり、30年ぶりのリーグ優勝を果たす。カンザスシティ・ロイヤルズとのワールドシリーズでは第2戦に先発し8回を投げ被安打10で6四球ながら、10奪三振4失点で凌ぎ勝利投手。王手をかけて迎えた第6戦では8回途中1失点と好投して勝利投手となり、球団史上初のワールドチャンピオンに大きく貢献した。3度目のサイ・ヤング賞を受賞し、MVPの投票では5位に入る。この年の投球回数304回は2021年現在、MLB最後の300イニングの到達者である。1981年は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮されて前後期制の変則日程となり、中断前首位だったチームは前期優勝。自身は開幕から8連勝を記録し、リーグ2位タイの13勝を挙げる。モントリオール・エクスポズとのディビジョンシリーズでは第1戦と第5戦に先発したが、援護がなく共に敗戦投手となり、チームも2勝3敗で敗退。