スティーブ・ウォズニアック
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スティーヴン・ゲイリー・ウォズニアック
Stephen Gary Wozniak
2018年11月
生誕 (1950-08-11) 1950年8月11日(73歳)
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ
国籍 アメリカ合衆国
別名ウォズ(Woz)
バークレー・ブルー
ロッキー・ラクーン・クラーク
民族ポーランド系
教育学士号
出身校カリフォルニア大学バークレー校卒業
団体Apple (1976 - )
給料週50ドル(2020年)
公式サイト ⇒http://www.woz.org/
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スティーヴン・ゲイリー・ウォズニアック(Stephen Gary Wozniak、1950年8月11日 - )は、アメリカ合衆国のコンピュータ・エンジニアである。スティーブ・ジョブズ、ロナルド・ウェイン(英語版)らと共に、商用パーソナルコンピュータで世界初の成功を収めたApple共同設立者の一人であり、創業から現在まで在籍し続けている唯一の社員である。

Apple IおよびApple IIをほぼ独力で開発。多くのコンピューター関係者に人柄を慕われ「ウォズ」と、また、技術者からはApple IIの設計などから窺えるその技術力から「ウォズの魔法使い」(オズの魔法使い、The Wizard of Ozのもじり)とも呼ばれる。
経歴
幼少期ウォズの製作したブルー・ボックス(カリフォルニアのコンピュータ歴史博物館に展示)

ロッキードのエンジニアだった父ジェリー・ウォズニアックのもとに、カリフォルニア州サンノゼにて生まれる。父はウクライナブコビナに由来を持つポーランド系、母がドイツ系スイス人の家系。出生証明書には「Stephan」と記載されているがそれは出生係の間違いで、本人は一貫して自身の名前として「Stephen」を使用しているという[1]。6歳の時、アマチュア無線の免許を取得し、自作キットのアマチュア無線機を組み上げた。13歳の時に、トランジスタの組み合わせによる原始的なコンピュータ(二進加減算機)で科学コンクールに優勝する。

1971年の夏、当時21歳のウォズニアックは友人ビル・フェルナンデスの紹介で当時16歳のスティーブ・ジョブズと知り合い、すぐに意気投合した[2]。その年の秋、ウォズニアックとジョブズは『エスクァイア』誌1971年10月号に掲載されていた記事を読んでブルーボックス(英語版)(不正に無料で長距離電話をかけることを可能にする装置)の存在を知った[3]。2人は、記事に登場したジョン・T・ドレーパー(キャプテン・クランチ)と会って情報交換をし、スタンフォード線形加速器センターの図書館に出向いてAT&Tの技術資料を見つけ出し、それを元にウォズニアックがオリジナルのブルーボックスを自作した[3]。ウォズニアックはブルーボックスを作ったことで既に満足していたが、ジョブズはこの装置を販売することを決め、学生寮などで1台150ドルの価格で売り回った[4][2][3]。ウォズニアックはこの装置の製作者として「バークレー・ブルー」との仮名を使った[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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