スティーブン・J・タウンゼント
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スティーブン・J・タウンゼント
2019年
生誕1959年(61 - 62歳)
シャインフェルド, 西ドイツ[1]
所属組織アメリカ合衆国
部門アメリカ陸軍
軍歴1982 ? 現在
最終階級大将
指揮アメリカアフリカ軍
TRADOC
多国籍統合TF-生来の決意作戦
第18空挺軍団
第10山岳師団
第3ストライカー旅団戦闘団
戦闘グレナダ侵攻

抑えきれぬ憤怒作戦

パナマ侵攻

ジャスト・コーズ作戦

ハイチ侵攻(英語版)
対テロ戦争

アフガニスタン紛争

アナコンダ作戦(英語版)


イラク戦争

バクバの戦い(英語版)


生来の決意作戦

アメリカ主導のイラク介入(英語版)

アメリカ主導のシリア介入(英語版)


受賞ディフェンス・ディスティングシュドサービスメダル "C" 字付き
ディスティングシュドサービスメダル(2)
防衛上級サービスメダル (2)
レジオン・オブ・メリット (2)
青銅星章 (5) "V"字付き
防衛功労賞
功労賞(6)

スティーブン・J・タウンゼント(英:Stephen J. Townsend) は、アメリカ陸軍大将(四つ星)、アメリカアフリカ軍の第5代司令官である。前職はアメリカ陸軍訓練教義コマンド司令官(2018年3月-2019年6月)。タウンゼントは、これまで、第82空挺師団第7歩兵師団第75レンジャー連隊、第78歩兵師団、第10山岳師団に所属し、 グレナダ侵攻(抑えきれない憤怒作戦)パナマ侵攻(ジャスト・コーズ作戦)、ハイチ侵攻(英語版)で戦った。 第10山岳師団のとき、アフガニスタン紛争アナコンダ作戦(英語版)の任務部隊を率いた。また、第2歩兵師団第3ストライカー旅団戦闘団長となり、イラク戦争のバクバの戦い(英語版)で部隊を率いた。その後、アフガニスタン戦争中に第10山岳師団長、2015年3月に、第18空挺軍団長となり[2]、さらに2016年8月には生来の決意作戦の多国籍統合タスクフォースの指揮官となった。目次

1 幼少期と教育

2 経歴

3 徽章及び勲章

4 脚注

5 関連項目

幼少期と教育

タウンゼントは、1959年に、ドイツ人の母と、アフガニスタン人の父の間に[3]西ドイツバイエルン州シャインフェルドで生まれた。 彼は生後まもなくドイツ在住のアメリカ軍人家族の養子となった。彼の養父は、機甲部隊の2等軍曹であった[4]。タウンゼンドはジョージア州グリフィンで育ち、1978年にグリフィン高校を卒業した。1982年、ノースジョージア大学を卒業し、心理学の学士を取得した。彼は予備役将校訓練課程を経て歩兵科に任官した[4]
経歴 タウンゼントとBrettG.Svlvia大佐(第101空挺師団第2旅団戦闘団長は第101空挺師団任務部隊ストライクの部隊視察を行う。イラクのケイヤラ西飛行場、2016年9月

1982年、少尉に任官、第82空挺師団の第505歩兵連隊第2大隊の小隊長、副中隊長、3科長補佐となり、グレナダ侵攻(抑えきれない憤怒作戦)に参加。その後、フォート・オードの第7歩兵師団(軽)第21連隊第3大隊3科長、アルファ中隊長となった。その後、フォート・ベニングの第75レンジャー連隊本部3科長補佐となりパナマ侵攻(ジャスト・コーズ作戦)に参加。その後、第3レンジャー大隊チャーリー中隊長[5]。指揮幕僚課程を卒業し、第75レンジャー連隊の上級連絡将事務所に所属するとともに、第3レンジャー大隊3科長となり、ハイチ侵攻(英語版)に参加。 じ後、ハワイの 米国太平洋コマンドのJ-5で勤務、後に戦闘指揮官特別補佐となった。1999年、ニューヨークのフォート・ドラムの第78師団(訓練支援)第2大隊3科長。2000年、第10山岳師団(軽)第31歩兵連隊の第4大隊長。2002年、アナコンダ作戦(英語版)において、タスクフォース「ポーラー・ベア」の指揮官となり、アフガニスタンに赴任。アメリカ陸軍戦争大学(英語版)を卒業し、2003年に、第10山岳師団3部長。2004年から[6] アフガニスタン紛争の不朽の自由作戦において、多国籍統合タスクフォース180(英語版)の作戦部長、C/J3となった[5]

その後、フォート・ルイスの第3ストライカー旅団戦闘団長に任命され、イラク戦争間、彼はタスクフォース「アローヘッド」を率い、2007年7月にバクバの戦い(英語版)に参加した[7]。 その後、フロリダ州タンパアメリカ中央軍副司令官となった。その後、フォート・キャンベルの上級指揮官となり、2009年から、第101空挺師団(空中強襲)の副司令官(作戦)となった。同時に、不朽の自由作戦の多国籍統合タスクフォース101に所属した。その後、統合参謀本部パキスタン/アフガニスタン調整部長。2012年12月4日、第10山岳師団長となり[8]、同時に多国籍統合タスクフォース10及びバグラーム地域本部-東(訓練助言支援本部)を率いた[5]

2015年5月4日、第18空挺軍団長となり、中将に昇進[9]。 2016年8月21日、生来の決意作戦の多国籍統合タスクフォース(CJTF-OIR)の司令官となり[10]ISIL(イスラム国)に対して、アメリカ主導のシリア介入(英語版)における航空作戦において米軍を率いた(特殊部隊、限定的な海兵隊の展開、同盟国の地上部隊を援助するための物資及び情報収集の支援を含む)。 米国の空爆は数万名のISIS戦闘員を死亡させ、彼らの占領地域を大幅に減少させた。[11] タウンゼンドの下、CJTF-OIR、シリア民主軍及びイラク治安部隊、リビア国家合意政府の有志連合軍は、シリア、イラク、リビアにおけるISISの首都に対して同時に攻勢に出て成功した(ラッカの戦い(2016-2017年)、モースルの戦い(2016-2017年)、シルテの戦い(2016年)(英語版))。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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