スチューベンビル_(オハイオ州)
[Wikipedia|▼Menu]

スチューベンビル市
City of Steubenville

スチューベンビル市中心部。
中央奥はジェファーソン郡地方裁判所。
愛称 : City of Murals (壁画の街)
位置

右: オハイオ州におけるジェファーソン郡の位置
左: ジェファーソン郡におけるスチューベンビルの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度21分34秒 西経80度36分49秒 / 北緯40.35944度 西経80.61361度 / 40.35944; -80.61361
歴史
創設1797年[1]
行政
アメリカ合衆国
 州オハイオ州
 郡ジェファーソン郡
 市スチューベンビル市
地理
面積 
  市域27.53 km2 (10.63 mi2)
    陸上  27.32 km2 (10.55 mi2)
    水面  0.21 km2 (0.08 mi2)
標高216 m (710 ft)
人口
人口(2020年現在)
  市域18,161人
    人口密度  664.8人/km2(1,721.4人/mi2)
  都市圏116,903人
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : ⇒http://cityofsteubenville.us

スチューベンビル(Steubenville)は、アメリカ合衆国オハイオ州東部、オハイオ河畔に位置する都市。同州ジェファーソン郡の郡庁所在地である。人口は18,161人(2020年国勢調査[2]。オハイオ川の対岸、北東に位置するウェストバージニア州ウィアトンと共に形成している、ジェファーソン郡を中心に3郡にまたがる都市圏は116,903人(2020年国勢調査)の人口を抱えている[3]。より広域的には、スチューベンビルは約60km東に位置するピッツバーグ広域都市圏に含まれている。

市名は1786年にこの地に建てられた、フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベンの名を冠したスチューベン砦に由来している。現在では、スチューベン砦は復元され、一般公開されている[4]。やがて市はオハイオ川の河港の街として、そして鉄鋼の街として、20世紀前半まで栄えた。しかし20世紀も後半に入ると、ホイーリングやウィアトンなど、近隣の鉄鋼の街と同様に、市は衰退していった。市の人口は1940年のピーク時の約1/2にまで減少した。しかし、2010年代前半、スチューベンビルの地下には2層の大規模なシェール層があることが判り、今後はシェールガスが産業と雇用をもたらすものと期待されている。

市内の至るところに20以上の壁画が描かれていることから、スチューベンビルは「壁画の街」と呼ばれている[5]。また、スチューベンビルにはオハイオ州内に6つあるカトリック教区の1つで、州東部および南東部を統括するスチューベンビル司教区が置かれている[6]。同教区はフランシスコ会第三会系のフランシスカン大学スチューベンビルをはじめ、同教区管轄下の小学校・中学校・高校を1校ずつスチューベンビルに置いており[7]、スチューベンビル市学区の公立学校と共に、スチューベンビルをオハイオ州東部における教育の中心地たらしめている。

なお、スチューベンビル市の南には、同名のスチューベンビル郡区が隣接している。両者には直接の関係は無い。
歴史マーケット・ストリート(1910年頃)

1786年大陸軍に代わって結成されたばかりのアメリカ合衆国陸軍第1連隊は、北西部領土の地図作成のために派遣された測量者の防護を目的として、この地で砦の建設を始めた。砦は翌1787年2月に完成し、独立戦争において将軍ジョージ・ワシントンの下で大陸軍の訓練において功績を挙げたフリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベンの名を冠してスチューベン砦と名付けられた。やがて砦の周囲に町が発展し、砦の名を取ってスチューベンビルと名付けられた[4]。この町は、ときどきフランス語の「美しい」と英語の「街」を組み合わせたフラングレで La Belle City とも呼ばれた[8]。測量が終わると砦は一旦は放棄されたが、その後1797年ジェファーソン郡が設けられると、その郡庁がスチューベンビルに置かれ[8]ボルチモア出身の測量者ベザリール・ウェルズとピッツバーグ出身の弁護士ジェームズ・ロスの2人によって街が区画された[1]

1803年3月1日、連邦17番目の州としてオハイオ州が成立した[9]1817年にはスチューベンビルで製鉄が始まっていた[10]が、19世紀前半は、スチューベンビルは主としてオハイオ川の河港の街で、郡内の後背地は小さな村や農場で占められていた。やがて1851年、スチューベンビルは市制を施行した。1856年には、フレイジャー・キルゴア社がスチューベンビルに先駆けとなる製鉄所を建て、スチューベンビル石炭鉱業会社が操業を開始した。19世紀も後半になると各所で鉄道の建設が進み、ピッツバーグとシンシナティシカゴ、およびセントルイスとを結ぶピッツバーグ・シンシナティ・シカゴ・アンド・セントルイス鉄道の駅がスチューベンビルに置かれた。朽ち果てた市内の製鉄所の高炉跡

交通網の確立は鉄鉱石の運搬を容易にし、鉄鋼業および石炭産業の発展を促した。20世紀初頭の最盛期には、スチューベンビル地域の製鉄所は何万人もの労働者を雇い、さらに周辺の炭鉱は高炉の燃料となる石炭を掘る坑夫を何千人という単位で雇っていた[10]。また、鉄鋼と石炭の他にも、製紙ガラス窯業といった産業が発展した[1]

しかし、20世紀も後半に入ると、アメリカ合衆国の鉄鋼業の地位低下、それに伴う全米的な経済構造の変化によって、鉄鋼業に大きく依存していたスチューベンビルの地域経済は崩壊し、市は急速に衰退へと向かった[10]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:73 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef