スターリンの葬送狂騒曲
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スターリンの葬送狂騒曲
The Death of Stalin

監督アーマンド・イアヌッチ
脚本

アーマンド・イアヌッチ

デヴィッド・シュナイダー(英語版)

イアン・マーティン(英語版)

ピーター・フェローズ

原作.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ファビアン・ニュリ

ティエリ・ロビン
『La Mort de Staline』
製作

ヤン・ゼヌー

ローラン・ゼトゥンヌ

ニコラ・デュヴァル・アダソフスキ

ケヴィン・ローダー

製作総指揮

ジーン・クリストフ・コルソン

ジル・ダオスト

Catherine Dumonceaux

出演者

スティーヴ・ブシェミ

サイモン・ラッセル・ビール

パディ・コンシダイン

ルパート・フレンド

ジェイソン・アイザックス

オルガ・キュリレンコ

マイケル・ペイリン

アンドレア・ライズボロー

ポール・チャヒディ

ダーモット・クロウリー(英語版)

エイドリアン・マクラフリン(英語版)

ポール・ホワイトハウス

ジェフリー・タンバー

音楽クリス・ウィリス
撮影ザック・ニコルソン
編集ピーター・ランバート
製作会社

Main Journey

Quad Productions

配給

eワン・フィルムズ(英語版)

ゴーモン

ギャガ

公開 2017年9月8日 (TIFF)
2017年10月20日
2018年8月3日[1]
上映時間107分[2]
製作国

イギリス

フランス

言語英語
製作費$13,000,000
興行収入$20,441,110[3]
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『スターリンの葬送狂騒曲』(スターリンのそうそうきょうそうきょく、The Death of Stalin)は、アーマンド・イアヌッチ監督による2017年のイギリス・フランスの歴史コメディドラマ映画である。1953年の独裁者スターリンの死によって引き起こされるソビエト連邦内の権力闘争が描かれる。原作はフランスのグラフィックノベル『La mort de Staline(スターリンの死)』である。

2017年9月8日に第42回トロント国際映画祭のプラットフォーム部門でプレミア上映された[4]。イギリスでは2017年10月20日にeワン・フィルムズ(英語版)により公開された。アメリカ合衆国では2018年3月9日にIFCフィルムズ(英語版)配給で公開された[5][6][2]
あらすじ

1953年のソ連・モスクワラヴレンチー・ベリヤ率いるNKVD[注 1]は「粛清リスト」に基づく国民の逮捕粛清を実行し、ヨシフ・スターリンに対する国民の畏怖は、スターリンがラジオ生放送のコンサートの録音を欲すると関係者が急遽再演奏するほどになっていた。コンサートのピアニストを務めていたマリヤ・ユーディナは、家族が受けた処分からスターリンを恨み、録音盤にスターリンを罵倒するメモを忍ばせた。届いた録音盤を執務室で聞いていたスターリンは床に落ちたメモを拾って内容を目にすると笑い飛ばしたが、その直後に意識を失い、昏倒する。執務室の外で警備に当たっていた2人の兵士はスターリンの倒れる音を聞き、一方は「中を覗いた方がいい」と言ったが、もう一方はそれに「黙れ。2人とも処刑される」と答え、結果2人とも執務室に入ることはなかった。

翌朝、お茶を運んできたメイドが昏倒したスターリンを発見し、ソビエト連邦共産党の幹部たちが集まった。何とか全員でスターリンを寝室に運んだ後、幹部たちは医師を呼ぼうとしたが、有能な医者はスターリンを暗殺しようとしたという嫌疑を掛けられて軒並み粛清されていた(医師団陰謀事件を参照)ため、粛清の際に医師に不利な証言をした看護師を使い、経験不足の若手や引退した者までかき集めて何とか医師団を編成させると、彼らにスターリンを診察させた。「スターリンは脳出血により右半身麻痺の状態。回復の見込みはない」という医師たちの診断に幹部たちは驚喜する一方、スターリンの娘であるスヴェトラーナを味方に付けたり、無能だが権勢を笠に着る道楽息子のワシーリーの介入を食い止めようと、お互いに暗躍を始める。幹部の個人情報まで握るベリヤは党内序列2位のゲオルギー・マレンコフと組む一方、ニキータ・フルシチョフヴャチェスラフ・モロトフラーザリ・カガノーヴィチアナスタス・ミコヤンらを仲間として対抗しようとする。ベリヤは「粛清リスト」からモロトフを外すとともに、反党活動容疑で収監されていたその妻ポリーナ(ロシア語版、英語版)を釈放するなどの懐柔策をとる。

スターリンは一瞬意識を取り戻したのちに死去し、幹部たちはスターリンの葬儀と後継体制に向けて動く。後継のトップであるソ連共産党書記長及びソ連閣僚会議議長にはマレンコフが昇格となる形で就任、ベリヤはマレンコフ政権においてナンバー2の第一副首相となる。フルシチョフはベリヤの差し金でスターリンの葬儀委員長に任じられる。トップとなっても実行力のないマレンコフに対し、ベリヤは政治犯の釈放や粛清リストの凍結などを提案する一方、スターリンに対する服喪中のモスクワ市内の警備を軍からNKVDに変えさせ、さらにモスクワに入る列車を止めようとする。フルシチョフは鉄道の管轄は自分にあると主張したが、ベリヤは強行した。しかし、フルシチョフは独断で列車運行を許可し、弔問に大挙して押し寄せた人民に警備のNKVD隊員が発砲して1500人もの死者が出る。会議で責任を巡りベリヤとフルシチョフはお互いに擦りつけあって対立、結局現場の警備責任者に罪をかぶせる形となるが、その上司であるベリヤには失点となった。

葬儀の当日も、スターリンの遺骸の周りに立つ幹部たちは他のメンバーに対する悪口を言い合う。弔問客に教会の関係者をベリヤが含めたことについて、フルシチョフらは「スターリン主義に反する」とさや当てした。

軍の最高司令官で大戦の英雄であるゲオルギー・ジューコフと組んだフルシチョフは、マレンコフを除く他の共産党幹部の同意も取り付け、ベリヤの失脚に向けた準備を進める。葬儀後に開かれた幹部の会議でフルシチョフがベリヤの解任を提議し、テーブルの下に取り付けられたボタンを押すとジューコフら軍人によってベリヤは連行される。裁判を開くことを主張するマレンコフに対し、フルシチョフはトハチェフスキーピャタコフソコリニコフなど裁判を受けずに粛清された同志の名を挙げ、半ば恫喝して処刑命令に署名させる。そしてベリヤは、フルシチョフらが出席する即決裁判で「少女への性的暴行」「外国勢力と通じて利益拡大を図ったことによる国家反逆罪」「反ソビエト行為」などの容疑により銃殺刑の判決を下されて即刻処刑され[注 2]、その死体はフルシチョフらの目の前でジューコフと兵士達によってガソリンをかけられ焼却された。


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