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出典検索?: "スタートレック" マイコンゲーム
スタートレックStar Trek running in a Linux command terminal
ジャンルシミュレーションゲーム
対応機種ミニコンピュータから始まり
後にパソコンゲーム
開発元マイク・メイフィールド
発売元フリーゲーム
日本でも国内メーカーが発売
人数1人
メディア日本では主にカセットテープ
発売日1971年
売上本数不明だが当時のプレイ人口多数
その他宇宙大作戦のゲーム化
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『スタートレック』(Star Trek)は、アメリカで生まれたSFテレビドラマ(『宇宙大作戦』)をヒントに作られた、テキストベースの(text-based)つまりユーザインタフェースとしてもっぱら文字や文章を使う、ストラテジーゲーム(あるいはシミュレーションゲーム)である。当初はフリーゲームだったが、後にメーカーから商業品としても発売された。
1970年代のミニコンピュータやマイクロコンピュータ(現在で言うパーソナルコンピュータの初期の形態)でテキストベースのゲームとして制作された。(なお1990年代以降に、同名の「Star Trek」と命名されていながら、当記事で説明するものとは根本的に異なっていて、テキストベースではなく、視覚的で、おまけにゲームのしくみも根本的に異なるパソコンゲームもいくつか誕生しているが、そのようなゲームの説明は英語版記事のen:List of Star Trek gamesや、そのリストの(将来開設される可能性がある)日本語版記事に譲るとして、当記事では1971年のものをオリジナルとして移植・派生していったテキストベースのストラテジーゲームについて解説する。
なお以下当記事においては全て、特に断りなく「当ゲーム」と記した場合はこのスタートレックゲーム、映像作品と記した場合は『宇宙大作戦』のみを意味する。 仲の悪かった惑星連邦とクリンゴン帝国は、いよいよ全面戦争に突入した。君は宇宙船USSエンタープライズ号の船長となり、ワープエンジンや光子魚雷などの機能を駆使し、このエンタープライズたった一隻だけで、銀河に散らばる多数のクリンゴン(Klingon。「クリンゴン」は人種名なので、正確にはクリンゴン戦艦と呼ぶべきであろうが、当ゲームの日本語版では単にクリンゴンと称すのが一般的である)を期限までに全滅させねばならない。任務完遂の暁には提督の地位が待っているが、失敗した場合は地上勤務に降格となる。 これらの固有名詞や世界観は映像作品から拝借しているものの、基本的には初期に当ゲームを作り上げていった、トレッキーのプログラマー達が勝手に創造したオリジナルストーリーである。なお『新スタートレック』以降は当時まだ制作されていなかったため、当ゲームには反映されていない。 当ゲームは1971年(72年とする資料もあるが、Wikipedia英語版には71年の資料がある)に、当時高校生だった[1]マイク・メイフィールド(Mike Mayfield)がen:Scientific Data Systems
ストーリー
歴史
発祥
1973年にはデビッド・アール(en:David H. Ahl。後に世界初のテレビゲーム史研究家となった人物)と彼の同僚のメアリ・コール(Mary Cole)によって、上述のメイフィールドのソフトのバリエーションがPDP-11のオペレーティングシステムのRSTS-11に移植された。これが書籍"101 BASIC Computer Games"に『スペースウォー』(Space War。1962年の『スペースウォー!』や、その後日本で出たアーケードゲームとは別物)として掲載され、BASICを使えるコンピュータを持っていたユーザの間で当ゲームが広く遊ばれるようになった。
また上の段落とは別にボブ・リーダム(Bob Leedom)が作ったバリエーションでは、機関の故障やクォドラントの名称といった概念が追加された。
さらにアールはSuper Star Trek(スーパースタートレック)と呼ばれるバリエーションを作り(九十九電機が作った同名かつ同系統のゲームとは無関係)、これは1978年に書籍"Microcomputer Edition"に収録された。この本は同年にアスキーより日本語版が出版され、日本のマイコンユーザにも当ゲームが伝わることになる。
当ゲームはコンソールやテレビモニタのキャラクタスクリーン(もっぱら文字を表示する画面)で遊ぶものが一般的だったが、稀に次のようなものもあった。
テレタイプライタによる端末(テレタイプ端末)を使用し、入力コマンドによる実行結果を毎回プリンタに印字する
電話回線を使ったタイムシェアリングシステムで動く
UNIX用(ケン・トンプソンによるUNIX開発の動機の一つといわれる、『スペーストラベル』(en:Space Travel (video game))と誤って混同されることがある)
TRS-80のSTAR TREKプレイ画面
1976年7月発売の Apple I 向けには1976年に移植され[2]、16キロバイトのRAMで動くという意味で「16K-Star Trek」と名付けられた。翌1977年には改訂版がApple Star Trekとしてリリースされた。1977年発売のApple IIでも、初期のApple IIを16KB以上のRAM構成で購入するとen:Integer BASICで書かれた『16K スタートレック』が、データレコーダ方式で読み出してインストールできるカセットテープで付属した。これは後にDOS3.2のシステムディスクに『アップル・トレック』(en:Apple Trek)とタイトル名を変更して収録されるようになった。1977年にタンディーコーポレーションから発売されたTRS-80向けにはen:Star Trek III.4がリリースされた。 bit臨時増刊『マイクロコンピュータのプログラミング』(1978年2月号増刊)p.245「宇宙戦争ゲームのプログラム」にて、石田晴久が、最初に輸入したのはたぶん自分だ、と記している。1975年のベル研滞在時にプレイして面白さに感心し、周囲の手助けを得て、1976年に東大大型計算機センター(後の東京大学情報基盤センター)のマシンにデモ・プログラムとして登録し、同センターのアカウントがあれば //GAME STARTREK というコマンドでTSS端末を通して遊べた、という。 その後、米国製のパーソナルコンピュータが輸入販売されるのと共にスタートレックも輸入され、秋葉原のマイコンショップで1ゲーム当たりで料金を徴収して遊ばせるなどして、一部のマニアによって細々と遊ばれるようになった。月刊I/O 1977年12月号では、AppleII版『16K スタートレック』の遊び方が2ページで紹介された。 当ゲームが日本で脚光を浴びてくるのは1980年前後、8ビットパソコン・ホビーパソコンがマイコンと呼ばれていた時代である。主力となるマイコンがMZ-80とPC-8001だった当時は、『スペースインベーダー』の流行もあってシューティングゲームなどアクションゲームが定番で、シミュレーションゲームではウォーゲームやアドベンチャーゲームが存在していたものの、遊びかたが複雑でやや難しすぎ(その結果、流行せず)、ソフトの種類も少なかった。
日本での展開