スタンフォード研究所
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SRIインターナショナル
SRI International

メンローパークにある本社の玄関
種類501(c)(3) 非営利科学研究所
本社所在地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州メンローパーク
設立1946年、スタンフォード大学により設立
業種研究開発
代表者ウィリアム・A・ジェフリー(英語版)
CEO
Manish Kothari
(社長)
Stephanie DeFino
最高財務責任者
売上高 5億8500万ドル(2011年)[1]
従業員数2500(2012年)[1]
外部リンク ⇒www.sri.com
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SRIインターナショナル(SRI International)は、世界で最も大きな研究機関のひとつである。1946年スタンフォード大学により、スタンフォード研究所(Stanford Research Institute)の名で地域経済発展を支援する目的で設置されたものである。

1970年に完全に大学から独立し、アメリカ合衆国の非営利組織として独自の法人となった。1975年に SRIインターナショナルへと改称。科学技術の発見・応用を通して、知識・経済・繁栄・平和へ貢献することを目的としている[1]。政府機関、企業、私立財団などの顧客から研究開発を請け負っている。テクノロジーのライセンス提供[2]、戦略的提携、スピンオフ企業の創業[3]なども行っている。

スタンフォード大学からそう遠くないカリフォルニア州メンローパーク市に本拠地を持つ。1998年から、物理学者カーティス・カールソン(英語版)が所長 (CEO) を務めた[4]。2014年9月からはWilliam JeffreyがCEOを務めている[5]。2012年の年間収入は約5億8500万ドルで、従業員は2,200名である[1]

主な研究分野は、生命医学、化学物質と材料、情報処理、地球および宇宙、経済、教育と学習、エネルギーと環境技術、セキュリティと国防、センサーなどである[6]。千件以上の特許を所有している[7]
歴史
設立

1920年代、スタンフォード大学教授 Robert E. Swain がアメリカ合衆国西部に研究所を創設することを提案。当時同大学の理事だったハーバート・フーヴァーも研究所設立を早くから提案していたが、大統領になったためその件からは身を引いた。1930年代には世界恐慌、1940年代には第二次世界大戦があったため、研究設立の件はなかなか進まなかったが[8]、3度の別々の研究所設立の試みの末、1946年に創設されることになった。

1945年8月、まずロッキード社の Maurice Nelles、Morlan A. Visel、Ernest L. Black がロサンゼルスに Pacific Research Foundation を立ち上げ、研究所設立に動き出した[9]。次に当時イリノイ工科大学学長だった Henry T. Heald が西海岸での研究所設立に動き出した。1945年にアメリカ西海岸での研究所創設を勧める報告書を書き、スタンフォード大学とも密接に連携して設立資金50万ドルを集めようとした[10]。3つ目の動きはスタンフォード大学工学部長だったフレデリック・ターマンによるものである。ターマンはHealdに続いて提案を行ったが、その内容は委託研究よりも学部と学生の研究を中心に据えたものだった[10]

スタンフォード大学の理事会は投票を行い、1946年に研究機関を創設することを決めた。その際に大学の憲章との整合をとり、スタンフォード大学の学生のためというよりも、科学知識の発展と公益のために設立されるものとした[10]。同大学の理事がスタンフォード研究所の所長に就任し、研究所を解散する場合は、その資産が大学に戻されるものとした[11]

化学者 William F. Talbot が初代所長に就任[11]。スタンフォード大学学長 Donald Tresidder はTalbotに対し、大学の関心事と相反するような研究を避けるよう命令。特に政治的圧力を惹きつける様な連邦政府との契約を避けるよう命じた[11]。しかしなかなか委託契約を結べず、スタンフォード大学の学部からの支援もなかったため、6カ月後には海軍研究局(英語版)との委託研究契約を結び、学長の命令に背くことになった[12]。この問題や学長が事細かに研究所の経営に口をだしてきたこともあり、Talbotは何度も辞表を提出し、最終的にはそれが受け入れられた[13]。後任には Armour Research Foundation を指揮したことのある Jesse Hobson が就任したが、委託研究契約はまだまだ足りなかった[14]
草創期National Air Pollution Symposium (1949) でロサンゼルスの大気汚染について発表するSRIの Paul Magill

最初の研究プロジェクトは、グアユール(英語版)という植物が天然ゴムの原料になるかどうかの研究だった[15]第二次世界大戦中、アメリカでもゴムは輸入品であり、品不足から厳密な配給制となったことがある[15]。1942年から1946年まで、アメリカ合衆国農務省 (USDA) は国産の原料から天然ゴムを作る研究を支援していた。戦争が終わると議会はこのプログラムの予算をカットしたが、海軍研究局がSRIでのプロジェクト続行の資金を提供し、研究に携わっていた農務省職員らもSRIで研究を続け、1947年には再び農務省から予算がつくようになった[15]

SRI初の経済学的研究は、アメリカ空軍の委託によるものだった。1947年、空軍はアメリカの航空機産業の成長性の評価を求めた。SRIは緊急時に増産させようとしても、かなり時間がかかるだろうと予測した[16]。1948年、SRI は石油会社シェブロンからの委託で石鹸のためのヘットヤシ油の人工代替品の研究開発を開始した。SRI は有望な代替人工物質として直鎖アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウムの一種、ドデシルベンゼンスルホン酸ナトリウムを見い出し、後にP&Gはこれを家庭用洗剤に使用して大成功を収めた[17]

SRIは大気汚染と下層大気中のオゾン形成についての先駆的研究を行った[18]。1949年11月、パサデナにて開催された First National Air Pollution Symposium を主催している[18]。専門家らが大気汚染の研究成果を発表し、アイデアや技法を交換しあい、この分野への興味を刺激した。このイベントにはアメリカ各地から科学者、実業家、市民のリーダーら400名が参加した[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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