スタラヤ・ラドガ
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「ラドガ」はこの項目へ転送されています。湖については「ラドガ湖」をご覧ください。
ラドガの石造りの要塞は12世紀に建設され、その4世紀後に再建されている

スタラヤ・ラドガ(ラドガ、スターラヤ・ラドガ、ロシア語:Ста?рая Ла?дога;ラテン文字表記: Staraya Ladoga)は、ノース人サガでは「アルデイギュボルグ」(Aldeigjuborg)と呼ばれているロシア北西部の古代の街。現在はロシア・レニングラード州のヴォルホフスキー地区にある小さな村である。ラドガ湖の南、ヴォルホフ川を若干遡った位置にある。

8世紀および9世紀、この地には東ヨーロッパでも有数の豊かさを誇った交易拠点ラドガがあり、ノルマン人ルーシ族が支配者であった。現在のロシア人の起源の一つであるルーシの都であったことから、ラドガは「ロシア最初の都」とも呼ばれる。
起源と名称丘を超えて運ばれる船。水系から水系の間の最も距離の縮まる地点で、船や荷物を川から上げて低い分水嶺を超えて運び(連水陸路)、隣の川へ下ろして航行を続け、大陸を横断していった

年輪年代学による発掘品の調査から、ラドガの街の建設は753年頃とみられる。950年にはすでに東ヨーロッパ有数の重要な交易都市となっていた。

スタラヤ・ラドガの中心は、ヴォルホフ川にイェレナ川が合流するところに建てられた古いクレムリである。かつてはこの場所が、ヴォルホフ川をこれより先には遡れない外洋船が停泊できる港として重要であった。

バルト海から航行してきたヴァリャーグヴァイキング)たちの船は、ネヴァ川などからラドガ湖を経てノヴゴロドに着き、川伝いに南を目指し黒海コンスタンティノープルへ、あるいはカスピ海へ至っていた。この交易路が「ヴァリャーグからギリシアへの道」と呼ばれる水陸交易路である。また、ラドガ湖から他の川などを伝ってヴォルガ川水系に出て、河口付近のハザールの首都イティルに至るヴォルガ交易路もあった。イティルからはカスピ海を南下し、最終的にはバグダードへ至っていた。ヨーロッパで発見された中世アラブの硬貨のうち最古のものは、スタラヤ・ラドガで発掘されている。またスウェーデンで見つかったアラブのディルハム銀貨のうち90%から95%はラドガ経由のものとみられる。

ラドガの住民はノース人のほか、フィン人スラヴ人などが混在しており、皆違った名前でこの街を呼んでいた。フィン語のもともとの地名ではアロデ=ヨキ(Alode-joki、「低地の川」)と呼ばれていたが、ノース語ではアルデイギャ(Aldeigja)へと変化し、さらに古東スラヴ語ではラドガ(Ladoga)と変化した。
リューリク朝のラドガ聖ゲオルギイ教会のフレスコ画。1167年に描かれたものノヴァヤ・ラドガ(1911年撮影)

コストロマの修道院から発見された『原初年代記』(ルーシの歴史書)のイパーチー写本(Hypatian Codex)によれば、ヴァリャーグの伝説の王リューリク862年にラドガに至りここを自分の都と定めた。リューリクの後継者たちはその後ノヴゴロドへ、さらにキエフへ移り、強大なキエフ・ルーシの礎を築いた。ラドガの周囲には巨大なクルガン(王族の古墳)がいくつか現存するが、そのうち一つはリューリクの陵墓であるとされている。他にリューリクの後継者オレグのものとされるクルガンもある。


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