スタニスラフ・スタニスラヴォヴィチ・ブーニン
生誕 (1966-09-25) 1966年9月25日(57歳)
ソビエト連邦、モスクワ
出身地 ソビエト連邦
ジャンルクラシック音楽
職業ピアニスト
公式サイトUniversal Music Japan
スタニスラフ・スタニスラヴォヴィチ・ブーニン (ロシア語: Станисла?в Станисла?вович Бу?нин, 英語: Stanislav Stanislavovich Bunin、1966年9月25日 - )は、ロシアのピアニスト[1][2]。ドイツと日本(東京)に在住[3]。祖父はゲンリフ・ネイガウス、父はスタニスラフ・ネイガウス。 1966年、ソ連時代のモスクワ生まれ[4]。父は当時の名ピアニストスタニスラフ・ネイガウス、祖父はモスクワ音楽院の名教授でギレリス、リヒテルの師でもあるゲンリフ・ネイガウスである。母もまたピアニストでモスクワ音楽院出身で同教師でもある。 音楽・音声外部リンク
経歴
第11回ショパン国際コンクールにおけるブーニンの演奏音源 (13曲収録再生リスト)
4歳から母にピアノの手ほどきを受け、その後も英才教育を受ける。そして、17歳でロン=ティボー国際コンクール(パリ)で最年少優勝を果たす。翌1984年よりショパン研究家のセルゲイ・ドレンスキーに師事した[5]。1985年10月に19歳で第11回ショパン国際ピアノコンクールで優勝したときには、「協奏曲賞」及び「ポロネーズ賞」までも同時に受賞した[6]。この時のショパン作曲『華麗なる円舞曲』作品34の第3曲「猫のワルツ」の高速演奏は取り分け有名で、普通は曲目の間では拍手はしないコンクールであるにもかかわらず、演奏が終わるや感激のあまり聴衆が拍手をはじめてしまうほどであった。
1988年6月に西ドイツに亡命。ヨーロッパ各地での活動に駆け回ったが、新録音の契約は難航を極めた。1989年に東芝EMIと契約し、その最初のリリースCD「バッハリサイタル」が90年の日本ゴールドディスク大賞を受賞した。最も得意分野のショパンのほか、ベートーヴェンのピアノソナタ、シューマン、J. S. バッハ、モーツァルトとレパートリーを広げていた。
1990年代以降はメジャーレーベルから離れてしまい、ヨーロッパからの新録音の話はほとんどないが、来日時から人気のある日本で主にCDリリースを行い、演奏活動を続けている。一度だけ録音にブリュートナーを使ったが[7]、2022年現在の彼は自宅にファツィオリを持ち込んで練習している[8]。
日本とのかかわり
日本では最も有名な外国人ピアニストの一人であった。ピアノコンクールとして非常に高い権威を誇るショパン国際ピアノコンクール(開催地:ワルシャワ)の第11回大会(1985年10月1日?21日)を19歳の若さで優勝した際の様子がNHKの特集番組「NHK特集 ショパンコンクール'85 ?若き挑戦者たちの20日間?」で放送されたことが発端となり、日本において「ブーニン・フィーバー」などと呼ばれる現象が巻き起こり、クラシック音楽ファンの裾野を広げるきっかけとなった。