スタニスラフ・グロフ
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スタニスラフ・グロフ
人物情報
生誕 (1931-07-01) 1931年7月1日
チェコスロバキア プラハ
出身校カレル大学
学問
研究分野心理学精神医学
研究機関ジョンズ・ホプキンズ大学、エサレン研究所
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スタニスラフ・グロフ(英語: Stanislav Grof、1931年7月1日―)は、トランスパーソナル心理学におけるLSDを用いたサイケデリック・セラピーを研究し、後に呼吸法を用いたホロトロピック・ブレスワークを開発した。またアブラハム・マズローと並び、トランスパーソナル心理学会の創始者の一人である[1]
略歴

1931年チェコの首都プラハ郊外に生まれた。1940年代後半、アニメーション製作会社に就職。そこでジークムント・フロイトの『精神分析入門』に出会う。フロイト派の精神科医を夢見て[2]カレル大学医学部で学び、1956年に卒業。精神科医ならびに臨床医としてキャリアをスタートした。チェコ精神分析協会の会長のもとで7年間の精神分析を実施する[2]。しかし、当時は生化学の理論が既にフロイトに挑戦しており、LSDが登場した[2]

1956年、卒業直後のグロフは幻覚剤は脳波に与える影響の研究の一環として、LSDにより神秘体験を経験し、意識が体から飛び出し、自分に境界がなく宇宙になるという体験をし、LSDを用いたセラピーの研究を開始する[3]。1961年にプラハ精神医学研究所に移り、LSDを用いた治療可能性について系統的な研究を開始した。

1967年、米国ボルチモアジョンズ・ホプキンズ大学に2年間のインターシップに招待され、その後教授となって同大学にとどまった。1968年のソ連によるチェコスロヴァキアへの軍事侵攻の前に、アメリカに移住[4]。1969年には、アブラハム・マズローと共に、「トランスパーソナル心理学会」を設立した[1]。グロフがトランスパーソナル心理学の父祖と呼ぶカール・グスタフ・ユングがトランスパーソナルという言葉を生み出し、グロフがトランスパーソナル心理学と名づけたとされる[5]

LSDを用いた医学実験が法律で禁止されると、方向転換を余儀なくされたグロフはホロトロピック・ブレスワークと呼ばれる呼吸法を生み出し、セラピーの代替手段とした。LSDセッションやブレスワークにより、膨大な臨床データを得たグロフはトランスパーソナル心理学の基礎を築いた。1973年には、主流の学会には別れを告げ、エサレン研究所で教鞭をとり、後進を育成するようになった[5]
思想
意識の作図学

グロフによれば、LSDは幻覚剤などではなく、自由連想法などより強力に深層心理を探ることができる手段となりうるものである、グロフは当初クライアントのトラウマ体験を引き出す目的で実験やセラピーを行った。しかし実際に引き出されたデータは、クライアントの出生時の記憶、胎児期の記憶、前世の記憶、臨死体験など、グロフが予想した範囲を大きく超えるものであった。

LSDセラピーでは約3000件のデータが得られたが、そうした膨大なデータから人間に様々なレベルの意識の層があることに気付いたグロフは、これまでの心理学の理論を統合するような「意識の地図」を作成しようと試みた[6][7]
第1段階:審美的領域

LSDを被験者に用いると、身体に気持ちの良い感覚を覚えたり、虫の羽音や鈴の音が聞こえてきたり、軽いビジョンを見たりといった体験がまず起きる。美しい感覚を伴う体験だが、グロフによれば、これは無意識の中に突入する際に起こる神経的反応に過ぎない。
第2段階:自伝的(フロイト的)無意識の領域

次に被験者は、日常的に抑圧されてきたと思われる個人的な無意識を体験する。幼児期への退行現象やトラウマの再体験などが強い感情を伴って起きる。既存の心理療法的アプローチが注目してきた領域である。
第3段階:BPM (基本的出生前後のマトリックス)

ここで被験者は「出生時の記憶」と思われる領域を再体験する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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