スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ
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「スタディオ・オリンピコ」はこの項目へ転送されています。トリノオリンピックの主競技場については「スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノ」をご覧ください。

スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ
Stadio Olimpico di Roma

UEFA

.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ローマの地図を表示ラツィオ州の地図を表示イタリアの地図を表示
施設情報
所在地 イタリア ローマ グラディアトーリ大通り00135
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度56分1.99秒 東経12度27分17.23秒 / 北緯41.9338861度 東経12.4547861度 / 41.9338861; 12.4547861座標: 北緯41度56分1.99秒 東経12度27分17.23秒 / 北緯41.9338861度 東経12.4547861度 / 41.9338861; 12.4547861
起工1927年
開場1953年5月17日
修繕1989年-1990年
所有者イタリアオリンピック委員会
運用者Sport e Salute
グラウンド天然芝
ピッチサイズ105m × 68m
建設費34億イタリア・リラ (1953年)
2,120億イタリア・リラ (1990年)
設計者 アッニヴァーレ・ヴィテロッツィ (1953年)
アッニヴァーレ・ヴィテロッツィ
マウリツィオ・クレリーチ (1990年)
旧称
スタディオ・デイ・チプレッシ (1927年-1953年)
スタディオ・デイ・チェントミラ (1953年-1960年)
使用チーム、大会
ASローマ (1953年-)
SSラツィオ (1953年-)
ラグビーイタリア代表 (1954年-)
ゴールデンガラ (1980年-)
詳細は#開催された主な大会を参照
収容人員
70,634人

スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(Stadio Olimpico di Roma)は、イタリアの首都・ローマにあるスタジアム。ASローマSSラツィオがホームスタジアムとしている。サッカーラグビーのイタリア代表も同スタジアムを本拠地として使用している。収容人数は70,634人で、1953年5月17日に竣工した。ローマオリンピック1960年)のメイン会場として建設された。愛称はオリンピコ。
概要

1909年にこのスタジアム周辺の都市計画が「フォロ・イタリコ」という名の下発案され、1925年12月には再開発地区内の住民の強制移転や建造物の取り壊しがベニート・ムッソリーニによって命令された[1]。その後、第二次世界大戦の影響で再開発は中断したが、終戦後に再開。1953年5月17日、イタリア代表ハンガリー代表国際Aマッチこけら落としとなり、スタジアム初の得点者となったヒデクチ・ナーンドルのゴールを含むハンガリー代表の3-0での快勝に終わった。当時のオリンピコは70,000人収容であったにもかかわらず観客席の傾斜が緩やかであったため、臨場感に欠けるという問題点があった[2]

1989年には1990 FIFAワールドカップ開催のために大規模な改修工事が行われた。観客席を含むスタジアムの大部分を取り壊し、新たに鉄筋コンクリートを中心としたスタンドやピッチとスタンドを狭める工事、半透明の片持ち梁式の屋根を付設するなど現在のスタジアムに近い姿へと変化した。

2007年には、UEFAチャンピオンズリーグ2008-09 決勝を開催するために主にスタジアムの安全性向上に観点を置いた改修工事がスタートした。ドレッシングルームの整備や全ての座席の取り替え、新しい大型液晶装置の設置など多岐に渡り、竣工後は収容人数が80,000人弱から70,634人まで減少した[3]
開催された主な大会・イベント
サッカー

UEFA欧州選手権1968

日付チーム#1結果チーム#2ラウンド
1968年6月8日 イングランド2-0 ソビエト連邦3位決定戦
1968年6月8日 イタリア1-1 ユーゴスラビア決勝
1968年6月10日 イタリア2-0 ユーゴスラビア決勝再試合


UEFA欧州選手権1980

日付チーム#1結果チーム#2ラウンド
1980年6月11日 チェコスロバキア0-1 西ドイツグループA
1980年6月14日 ギリシャ1-3 チェコスロバキア
1980年6月18日 イタリア0-0 ベルギーグループB
1980年6月22日 ベルギー1-2 西ドイツ決勝


1990 FIFAワールドカップ

日付チーム#1結果チーム#2ラウンド
1990年6月9日 イタリア1-0 オーストリアグループA
1990年6月14日 イタリア1-0 アメリカ合衆国
1990年6月19日 イタリア2-0 チェコスロバキア


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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