スタディオン
Stadion
(Hippodromus)
所在地古代ローマ, 首都ローマ
建設時期81年 ? 92年
建設者帝政ローマ
建築様式庭園 or 競技場
関連項目ローマの古代遺跡一覧
スタディオン(ラテン語: Stadion)は、イタリア ローマのパラティヌスの丘(パラティーノの丘)にある帝政ローマ期の宮殿内の庭園または競技施設跡。ドミティアヌスのヒッポドロームと表記されることもある。 ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスが、東側に隣接するドムス・フラウィアやドムス・アウグスターナと同時期に建てた施設である。ネロ帝以降に建てられた建物群を撤去した跡に建てられた。スタディオンは、ドミティアヌス帝就任直後の81年から92年の間に建設された。 スタディオンの建築材であるレンガの大部分にはドミティアヌス帝時代の刻印がされているが、入口部分はハドリアヌス帝時代に、またエクセドラ部分はセプティミウス・セウェルス帝時代に改修されたものである。広場の南半分の地面に楕円形の建物跡が現在でも残っているが、これは東ゴート王国の初代国王テオドリックの時代に造られたアンフィテアトルム(円形闘技場)の跡である。 古代ローマの博物学者小プリニウスによれば、スタディオンは競技場ではなく皇帝の私庭(庭園)として使われていたようである。3世紀末の殉教者である聖セバスティアヌスによれば、キリスト教信者の迫害(Acts of the Martyrs
概要
関連項目
パラティヌスの丘
平面図パラティヌスの中心部付近
ドムス・アウグスターナ
E:入口, P2:ペリスティリウム(列柱郭), P3:池のあるペリスティリウム(列柱郭), Co:噴水のある半地下の庭, Ex:大エクセドラ
ドムス・フラウィア
A:アウラ・レギア, B:バシリカ, L:ララリウム, Po:ポルチコ, P1:噴水のあるペリスティリウム(列柱郭), C:トリクリニウム
スタディオン
S:スタディオン
参考文献.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、スタディオン (パラティヌス)に関連するカテゴリがあります。