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スタテイラ
Στ?τειρα
マケドニア王妃
在位紀元前324年 - 紀元前323年
死去紀元前323年
配偶者アレクサンドロス3世
家名アケメネス朝
父親ペルシア王ダレイオス3世
母親スタテイラ1世
スタテイラ2世(ギリシア語:Στ?τειρα, ラテン文字表記:Stateira II, ? - 紀元前323年)は、アケメネス朝ペルシアの王女で、アルゲアス朝のマケドニア王アレクサンドロス3世(大王)の妃のひとり。 紀元前333年、マケドニア軍とのイッソスの戦いで父王が敗走すると、遠征に同行していたスタテイラは母、祖母ら家族と共に陣中に取り残され、マケドニア軍に捕らえられた。
アケメネス朝ペルシア最後の王ダレイオス3世と、娘と同名の王妃スタテイラ1世(英語版)の娘。妹にヘファイスティオンの妻となるドリュペティスがいる。祖母はシシュガンビス。
生涯
最初、太守マザイオスと婚約していたが、マザイオスは紀元前328年に死に、紀元前324年2月に合同結婚式
2世紀の歴史家アッリアノスはスタテイラのことを「バルシネ」と呼んだが、ロドス島のメムノンの妻バルシネとは別人である[2]。
なお、スタテイラとアレクサンドロス3世との間にはAesopia(紀元前325年頃生誕)という娘がいたとされ、セレウコス1世の息子の一人アカエウス(アカイオス)と結婚。アンドロマコス(紀元前290年から紀元前225年頃まで存命)、ラオディケ1世(紀元前289年頃生誕)、アンティオキス(紀元前287年頃生誕)、アレクサンドロス(紀元前285年頃から紀元前243年頃)、ラオディケ2世の2男3女を儲けたという。
アンドロマコスの妹ラオディケ2世は甥(姉ラオディケ1世の子)セレウコス2世と結婚。セレウコス3世、アンティオコス3世、ラオディケの母となる。アンティオコス3世の直系はセレウコス朝滅亡まで続き、ポントス王ミトリダテス6世はアンティオコス3世の曾孫(3世の2人の子アンティオコス4世とラオディケが兄妹結婚し、その娘ラオディケがミトリダテス6世の母)である。
更にアンティオコス3世の姉妹ラオディケはバクトリア王エウクラティデス1世の母とされている(異説あり)。
アンドロマコスの妹ラオディケ1世はアンティオコス2世と結婚。セレウコス2世とラオディケの母となる。