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スタウラキオス
Σταυρ?κιο? / Staurakios
東ローマ皇帝
ソリドゥス金貨に刻まれた父ニケフォロス1世(左)とスタウラキオス(右)
在位811年7月26日 - 10月1日
死去812年1月11日
配偶者テオファノ
王朝ニケフォロス朝
父親ニケフォロス1世
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スタウラキオス(ギリシア語:Σταυρ?κιο? (Staurakios), ? - 812年1月11日)は、東ローマ帝国の皇帝(在位:811年7月26日 - 10月1日)。ニケフォロス1世の子。 803年にニケフォロス1世によって共同皇帝とされ、807年にエイレーネーの一族のテオファノと結婚した。811年、父と共に第一次ブルガリア帝国の討伐に出陣したが、父は戦死し、自身も瀕死の重傷を負った。辛うじてコンスタンティノポリスに帰還するものの、政務を執れる状態にはなかった。このため、後継をめぐって対立が起きた。テオファノは自ら即位しようとするが果たせず、結局義弟のミカエル1世ランガベーに譲位して修道院に隠退し、翌年に死去した。
生涯
表
話
編
歴
東ローマ皇帝
テオドシウス朝
アルカディウス383-408
テオドシウス2世408-450
マルキアヌス450-457
レオ朝
レオ1世457-474
レオ2世474
ゼノン474-491
バシリスクス(対立皇帝)475-476 | 断絶 | アナスタシウス1世491-518
ユスティニアヌス朝
ユスティヌス1世518-527
ユスティニアヌス1世527-565
ユスティヌス2世565-578
ティベリウス2世578-582
マウリキウス582-602
フォカス602-610
ヘラクレイオス朝
ヘラクレイオス610-641
コンスタンティノス3世641
ヘラクロナス641
コンスタンス2世641-668
コンスタンティノス4世668-685
ユスティニアノス2世685-694
レオンティオス695-698
ティベリオス3世698-705
ユスティニアノス2世(復位)705-711 | 断絶 | フィリピコス・バルダネス711-713
アナスタシオス2世713-715
テオドシオス3世715-717
イサウリア朝
レオーン3世717-741
コンスタンティノス5世741-775
レオーン4世775-780
コンスタンティノス6世780-797
エイレーネー797-802
ニケフォロス朝
ニケフォロス1世802-811
スタウラキオス811
ミカエル1世ランガベ811-813
レオーン5世813-820
アモリア朝
ミカエル2世820-829
テオフィロス829-842
ミカエル3世842-867
マケドニア朝
バシレイオス1世867-886
レオーン6世886-912
アレクサンドロス912-913
コンスタンティノス7世913-959
ロマノス1世レカペノス920-944
ロマノス2世959-963
ニケフォロス2世フォカス963-969
ヨハネス1世ツィミスケス969-976
バシレイオス2世976-1025
コンスタンティノス8世1025-1028
ロマノス3世アルギュロス1028-1034
ミカエル4世1034-1041
ミカエル5世1041-1042
ゾエ1042
テオドラ(共同皇帝)1042
コンスタンティノス9世モノマコス1042-1055