スタア
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この項目では、三島由紀夫の短編小説について説明しています。その他の用法については「スター」をご覧ください。

スタア
訳題Star
作者三島由紀夫
日本
言語日本語
ジャンル短編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『群像1960年11月号(第15巻第11号)
刊本情報
出版元新潮社
出版年月日1961年1月30日
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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『スタア』は、三島由紀夫短編小説。人気絶頂の20代の映画俳優を主人公にした一人称小説で、三島自身が俳優として初主演した映画『からっ風野郎』の撮影経験がヒントになって書かれた作品である[1][2][3][4]

スターという「仮面」的な存在形態の特異性をモチーフに、その生活の虚像と実像を映画のプロットと二重写しに交錯させながら「見られる」人間のふしぎな自意識が巧みに描かれているのと同時に[2][4]1960年代の三島の思想形成に影響を与えた「肉体による存在意識」や、『仮面の告白』以来の戦後の三島文学に通底する自己のテーマが垣間見られる作品ともなっている[4][5][6]
発表経過

初出は1960年(昭和35年)、雑誌『群像』11月号(第15巻第11号)に掲載された[7][8][9]

単行本としては、1961年(昭和36年)1月30日に新潮社より刊行の『スタア』に「憂国」「百万円煎餅」とともに収録された[10][9][11]。その後は1971年(昭和46年)2月27日に刊行の自選短編集『獅子・孔雀』(新潮文庫)に収録された[12][3][9]

Sam Bettによる英訳(英題:Star)があり、日米友好基金日本文学翻訳賞を受賞している[13][14]
あらすじ

目下人気上昇中の若手映画俳優の「僕」水野豊のまわりには信者のような熱狂的ファンが常に取り巻いている。世の中の女はみな「僕」に夢中で、女だけでなく「僕」と同年代の若者も学校や勤め先をさぼってまで5月の昼間にロケの見物をしている。彼らは「僕」が流行らせた服装を着込んで、その姿を「僕」に見せて喜ぶ。

彼らがなりたいと願っているもの、すなわち彼らの「原型」は「僕」である、と水野はいつもそう思って、撮影の合間に付き人の太田加代が差し出す手鏡で自分の顔をチェックする。最近は疲労と徹夜の撮影の連続のため「僕」の肌は乾燥気味で若さが急速に黄昏れてきたが、「僕」はそんな「本当の世界」からやってくる現実認識の世界とはとっくに手を切っている。夢自体である「僕」はもう夢を見る必要はなく、夢を見るのは映画館に足を運ぶ客の特権だと「僕」は考える。

熱狂的ファンたちは常に「僕」に注目しているが、「僕」と付き人の太田加代が性的関係にあることは気づきもしない。加代の実年齢は30歳ほどであるが、風貌は40ぐらいに見える醜い女である。だが、加代は「僕」の虚偽の相棒であり、性的渇望の救い主でもあった。醜い彼女の木の節のような踝(くるぶし)に接吻する「僕」の内面の難解な感覚をよく察知する彼女は、「私、あなたが60歳になっても、私の可愛い綺麗な王子様と呼ぶでしょう」と言う。

「僕」は今、あるヤクザ映画の主役を演じ撮影中である。相手役の女優は深井ネリ子で彼女の役は、敵対ヤクザに殺された男の妹で、「僕」は兄貴分でもあった彼女の兄の敵をとるため、刑務所から出所した後、復讐の実行を決意する。「僕」は兄貴分の妹ネリ子を愛するようになっていったが、ヤクザ嫌いのネリ子は「僕」の求愛をはねつける。だが彼女は内心では「僕」を愛していた。

ついに仇敵の所在をつきとめた「僕」が1人死地に赴くシーンの撮影の最中、突然、大部屋女優の浅野ユリが乱入し「水野さーん」と「僕」に抱きつく。撮影は中断されてしまったが、高浜監督が浅野ユリを気に入り、急遽「狂女」の役を与えることになったが、そう決まったとたんにユリは極度に緊張し、先ほどの自然さは消え失せて使い物にならなかった。失敗して所長から解雇を言い渡されたユリはその後、化粧部屋でパラミンを飲み服毒自殺を図る。医者による介抱で暴れるユリは手足を押さえつけて食塩注射を打たれた。

その様子を大部屋男優たちは卑猥な目つきで眺め、「僕」の付き人の加代も意地悪な目で注視する。ユリは世にも恥知らずな表情を露わにしていた。先ほどのユリの演技とは真逆に、彼女は「見られる」ことを100%成功していた。「僕」はこの一件で、あの時のユリこそ「俳優のいつも夢みている至福の状態」だと気づき、そのユリを見習いたいと思った。

その後の撮影で、仇討ち前にネリ子が「僕」の求愛をやっと受け入れて2人は結ばれた。それ以降のあらすじは、仇敵が偶然自動車事故で死亡し、目的を無くしてしまった「僕」が、街の家出娘らを誘惑し街娼にする仕事に落ちぶれていくシーンが始まることになる。

こうした映画のカット撮影や中抜きシーンの演技を繰り返すスタアの「僕」は、休みの午後に銀座に出かけ、ある中年の万引き男と遭遇する。買物中の「僕」を見るために集まった群衆にまぎれ、万引きしていた男はその場で逮捕された。輝くような二枚目スタアの「僕」と万引き男は対照的な存在だったが、「僕」は薄汚れたその中年男と目が合った瞬間、突然現実に弾き出され、彼が20年後の「僕」であるシーン中抜きが行なわれたようなふしぎな感覚になる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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