スズキ・キャリイ
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この項目では、スズキ・キャリイ(主に軽トラック)について説明しています。

東南アジア、オセアニア等で売られているキャリイについては「スズキ・APV」をご覧ください。

8代目以降のキャリイバンの詳細については「スズキ・エブリイ」をご覧ください。

「キャリィ」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「キャリー」をご覧ください。

スズキ・キャリイ
11代目キャリイ「KC」
概要
別名

スズキ・スズライトキャリイ(初代、2代目)
スズキ・キャリイ55(5代目)
スズキ・キャリイwide(6代目)
マツダ・スクラム(8代目以降)
日産・NT100クリッパー(11代目以降)
三菱・ミニキャブ(11代目以降)
製造国 日本
販売期間1961年-
ボディ
ボディタイプ2ドア軽トラック
駆動方式FR/4WD
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キャリイ(CARRY)は、スズキ(1990年9月以前は鈴木自動車工業)製造販売する軽トラック

かつては軽ワンボックスカーのラインナップ(キャリイバン)も存在したが、7代目から中盤以降は独立した車名であるエブリイに移行している(例外的に9代目の初期はキャリイバンも併売されていた)。

本項目では、ラージキャブを採用した派生車種のスーパーキャリイ(SUPER CARRY)についても便宜上、記述する。
概要フィリピンではジープニーに改造され使用されているスズキ・キャリイ。

1961年スズライトの本格商用モデルとしてデビュー(スズライトにもバンモデルは存在したが、乗用を念頭に置いたものであった)。以来、2020年現在同社の新車で購入できる自動車の商標としては最古の商標(11代59年)となる。

1971年から2009年までの39年連続で、日本国内で販売されているトラック(軽・小型・普通)の車名別年間販売台数第1位である[注釈 1]。さらに、2010年1月で累計販売台数400万台を達成した。

日本国内の複数メーカー向けOEMのベースモデルにもなっており、マツダ向けのスクラムトラック(1989年発売の初代から)、日産自動車向けのNT100クリッパー(2013年発売の2代目以降)、三菱自動車工業向けのミニキャブトラック(2014年発売の7代目以降)は、この車両を元に一部外装パーツの変更を行ったものである。またバンモデル(現在のエブリイ)も1981年まではキャリイを名乗り、1991年-1993年の間は上級車種以外の車種についてはキャリイバンの車名で販売されていた。

2013年まではシャーシ構造・駆動方式が異なる51系(9代目キャリイ/3代目エブリイ)を除いてバンタイプのエブリイと2002年までは共通の構造を多く有していた。軽自動車の新規格に適合させるため1999年以降のキャリイはセミキャブ・ロングホイールベース仕様だったが、2005年11月におよそ7年ぶりにフルキャブ・ショートホイールベース仕様の「FC」系が追加された(ボディサイズは新規格で、農耕用に特化したタイプ)。ただし、OEM車種のスクラムトラックにはこの仕様が設定されなかった。2013年8月のフルモデルチェンジに際し、フルキャブ・ショートホイールベース仕様へ統合され、型式を含めてエブリイと別構造となっている。OEM車種のスクラムトラックもフルキャブ・ショートホイールベース仕様へ移行された。

なお、欧米や東南アジア、インド、オーストラリア等では排気量を拡大したモデルが生産、販売され、また大宇国民車(現・韓国GM)からは9代目(エブリイにおける2代目)が「ラボ(LABO)」[注釈 2]、南米ではシボレーブランドで「Chevrolet CMP」と言う名称でいずれも現在も生産されているが、ダマスはフェイスリフトを受けている。海外モデルは145の国と地域で展開されており、軽トラックを除いた累計販売台数は200万台以上となっている(2019年2月末時点)。

車名は英語で「運ぶ」の意味[1]。なお、カナ表記に関しては「キャリー(長音)」「キャリィ(捨て仮名[2]」などと誤植されるケースが少なからず存在する。
初代 FB型(1961-1965年)

スズキ・スズライト・キャリイ(初代)
FB型
キャリイバン
キャリイトラック
概要
販売期間1961年10月-1965年5月
ボディ
乗車定員2人
ボディタイプ2ドアトラック/3ドアライトバン
駆動方式FR
パワートレイン
エンジン0.36L 2ストローク直2
最高出力21PS/5,500rpm
最大トルク3.2kg・m/3,700rpm
変速機4MT
リーフ式サスペンション
リーフ式サスペンション
車両寸法
ホイールベース1,850mm
全長2,990mm
全幅1,295mm
全高1,550mm
車両重量490kg
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1950年代後期の鈴木自動車工業は、オートバイ市場で成功する一方、軽乗用車からライトバンに発展した「スズライト・フロンテ」で4輪軽自動車市場の一角を占めつつあったが、市場のニーズに沿った営業上、当時ブームであった軽オート三輪トラックに比肩するようなタイプの商用車が求められたため、フロンテよりもより本格的な商用車として開発された。社長の鈴木三郎は商機を逸するべきでないと考え、技術陣に「1年間で開発を済ませろ」と命じた。

スズライトなどの開発にも携わった稲川誠一が担当の設計課長となった。稲川らは、1年という短期間での急造では、試作を繰り返しての凝った設計を用いる余裕はない、と見切り、鈴木三郎には余計な口出しをしない確約をとったうえ、単純でトラブルの出にくい構造に徹する方針を採った。

シャーシは同時期の小型トラックに倣って、前後輪ともリーフスプリング支持・固定軸の低床ラダーフレームという、単純頑強で強度余裕のある構造を採用、商用車で問題となりがちな破損トラブルを回避した。専用の空冷直列2気筒2ストロークエンジンも開発を先行させ、2輪車用の単気筒エンジンを2個つなげたような作りでシリンダごとの独立キャブレターを与え、高回転で出力を稼ぐ設計で完成させた(21ps/5,500rpm)。出力重視で高回転過ぎのエンジンになったが、トラックとしての全体スペックが決定した時点で、トランスミッション内の減速ギアで実用向けな回転数に落とすやり方で帳尻を合わせた。当然燃費は悪くなったが、実用面での動力性能が高かったことから、ユーザー側からは大きな問題にはされなかった。ギアボックスは時流に合わせて、1速以外シンクロナイザー付とした4速コラムシフトをおごり、運転しやすくした。

一方、この時点では二輪車事業の業績による資金調達力向上で、先行したスズライト(横置きエンジン、前輪駆動)ではまだ導入できなかったスパイラルベベルギア用の刃切り機導入(スイス・エリコン社製およびアメリカ・グリーソン社製)が実現したため、差動装置については自社で後輪駆動車用の歯車生産が可能となった。スタイルはセミ・キャブオーバーだが、エンジンはフロントシート下に配置するアンダーフロア型としている。

並行して、軽トラック専用の製造工場も愛知県豊川市に突貫工事で建設されることになった。建設の指揮を命じられたのは、銀行員から鈴木三郎の娘婿となり、1958年に鈴木自動車に入社していた鈴木修(のちスズキ社長・会長)で、会社中枢である企画部との対立を抱えながらの(社内失脚の危険含みの)特命であった。修は現場での陣頭指揮に立って、職人たち相手の膝詰めの交渉などにも懸命に取り組み、わずか9か月で豊川工場を完成させた。しかも建設予算3億円に対して最終費用は2億7千万円に抑え、3千万円を企画部に突き返した。豊川工場建設の実績は、鈴木修がスズキ社内での実力を認められるきっかけになった。

豊川工場のラインで量産が開始された初代キャリイ「FB型」は、単純堅実で信頼性の高い作りとエンジンの強力さ、30万円弱の低価格とが功を奏して商業的成功を収め、スズキの商用軽四輪車市場での地歩を確固たるものとした。
1961年10月
初代は「スズライトキャリイ」の名で発売された。他社製品よりも積載量の大きく、積み下ろしのしやすい荷台を特長としていた。オプションで荷台用の幌も用意された。
1964年9月
バン(「エブリイ」の前身)を追加。最大積載量は300s(4名乗車時は200s)。
2代目 L20型(1965-1969年)

スズキ・スズライト・キャリイ(2代目)
L20型
キャリイトラック


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