スズキ・アルト
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この項目では、スズキ・アルト全般について説明しています。

2014年から生産している8代目モデルについては「スズキ・アルト (8代目)」をご覧ください。

アルトラパンについては「スズキ・アルトラパン」をご覧ください。

.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}画像提供依頼:8代目ターボRSの画像提供をお願いします。(2015年3月)

スズキ・アルト
左から、9,7,8代目アルト(セダン)
概要
別名スズキ・フロンテ(初代 - 3代目)
マツダ・キャロル(5代目以降)
日産・ピノ(6代目のみ)
製造国 日本
販売期間1979年 - 2021年軽ボンネットバン
1989年 - (軽セダン
ボディ
ボディタイプ3 / 5ドアハッチバック軽セダン/軽ボンネットバン
駆動方式前輪駆動 / 四輪駆動
系譜
先代スズキ・フロンテハッチ
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アルト(Alto)は、スズキハッチバック軽自動車(日本国外仕様車においてはAセグメント)のブランド(商標)、および車名である。
概要

初代はフロンテの商用車版姉妹車として1979年に発売され、軽ボンネットバンブームの火付け役となって大ヒットし、以後、ワゴンRの登場まで、同社を代表する軽自動車であった。アルトシリーズ累計生産台数は480万台以上[1]2019年令和元年)5月に初代モデルの発売開始から40周年を迎えており、同年6月現在においてもハッチバック型の主力車種として生産・販売され2016年12月12日に、国内累計販売台数(ラパンを除く)がスズキ車で初となる500万台を達成した[2]

本稿での型式は各世代の中から例を記す。仕様により型式が異なるものもある。型式末尾「S」はセダン、「V」はバン。

また、本稿では以下のモデルについても便宜上記述する。販売戦略上、滅多に正式名称で呼ばれない派生車種「ラパン」については、当該項目を参照。

アルト バン(ALTO VAN ) - 軽ボンネットバン

アルト ウォークスルーバン

アルト スノーライナー - 実用型4輪駆動モデル

ホットハッチ

アルト ターボ

アルトツインカム12RS

アルト ワークス(ALTO WORKS)

アルト ターボRS(ALTO TURBO RS)


アルト ハッスル - 乗用車/商用車兼用モデル

アルト エコ(ALTO ECO) - 乗用車専用モデル

初代 SS30V/40V型(1979年 - 1984年)

スズキ・アルト(初代)
SS30V/40V型
前期型
1979年5月 - 1982年10月

概要
別名スズキ・フロンテ(5代目)
販売期間1979年5月 - 1984年9月[3]
ボディ
乗車定員2 / 4人
ボディタイプ3ドアハッチバック
エンジン位置フロント
駆動方式前輪駆動 / 四輪駆動
パワートレイン
エンジン水冷直列3気筒
2ストローク T5B型 0.55 L
4ストローク F5A型 0.55 L
最高出力28ps/5,500rpm(T5B)
最大トルク5.3kgm/3,000rpm(T5B)
変速機2速AT / 4速MT

ストラット式半楕円リーフスプリング

ストラット式半楕円リーフスプリング
車両寸法
ホイールベース2,150mm
全長3,195mm
全幅1,395mm
全高1,335 - 1,350mm
車両重量540 - 560kg
最大積載量200 / 100kg
系譜
先代スズキ・フロンテハッチ
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1979年昭和54年)5月、発売。軽乗用車フロンテ商用姉妹車である。型式はH-SS30V。「軽ボンネットバン」と呼ばれる「節税型軽乗用車」ジャンルを創成し、その後の軽自動車市場に大きな影響を与えた。当時、鈴木自動車工業社長に就任して間もなかった鈴木修が、社長就任後初めて陣頭指揮を執って製品化にあたった新型車であり、鈴木修自身にとっても自らの地位を確固たる物とした記念すべきモデルとなった。

1970年代中期以降、日本の軽乗用車市場は排ガス規制対策と550 cc 規格移行前後の混乱・低迷期の最中にあり、各社は在来モデルの排気量・車幅拡大などでお茶を濁す停滞に陥り、新たな展開が模索される状態にあった[注釈 1]。スズキでは排出ガス対策エンジンの開発が不調で、トヨタ自動車からの伝手によって競合するダイハツ工業製のエンジンを購入して自社の軽乗用車に搭載するなど、苦しい状態に置かれていた。1978年6月に社長就任した鈴木修がその打開策として企画したのが、ベーシックカーの原点に立ち返った廉価な新型車の開発であった。

この時点で次期フロンテとなるべき新型軽乗用車の開発が相当に進んでおり、1978年中には発売される予定であったが、鈴木修は「新車発売の1年延期」と「企画の全面的見直し」を敢えて断行し、修の意向によって新型車のコンセプトには大幅な方向修正が図られることになった。

当時の日本で、軽乗用車には15%を上回る高税率物品税を課されていた。だが軽ボンネットバンを含む商用車は物品税が非課税で、税制面では格段に有利であった。スズキではこの税制のギャップを逆手にとって合法的に節税できる「実質前席2人乗り軽乗用車として機能する軽商用車(軽ボンネットバン)」という商品設定を企画、主に買い物子供の送り迎えなどに自動車を使う主婦層の需要喚起を新たに狙った。スズキでは開発に際しての市場リサーチで、当時“軽自動車の基本乗車人数は1 - 2名”というデータを得ており、前席の居住性が乗用車並みに確保できるバンの市場商品性に裏付けを持っていた[注釈 2]

価格設定も大胆なものとなった。同時期の一般的な軽乗用車は新車で60万円を超える価格帯で、これに高率の物品税が上乗せされた。一方、市場調査で当時の日本の中古車市場では40万円から50万円程度の中古車の売れ行きが良好であると判明、鈴木修はそのクラスの需要を狙い、市販価格45万円程度の廉価な新車を提供することを目論んだ。この価格設定で利益を確保するには、製造原価を当時としても極度に低い35万円程度に抑えなければならなかった[4]。「目標達成のためなら灰皿やスペアタイヤ、エンジンまでも外せ」とまでの叱咤と共に、鈴木修から過酷な目標を課された開発部門責任者の稲川誠一(当時常務。


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