スコーピオンズ
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スコーピオンズ

ポーランド・グリヴィツェ公演(2019年)
基本情報
出身地 ドイツ ニーダーザクセン州ハノーファー
ジャンル.mw-parser-output .hlist ul,.mw-parser-output .hlist ol{padding-left:0}.mw-parser-output .hlist li,.mw-parser-output .hlist dd,.mw-parser-output .hlist dt{margin-right:0;display:inline-block;white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dt:after,.mw-parser-output .hlist dd:after,.mw-parser-output .hlist li:after{white-space:normal}.mw-parser-output .hlist li:after,.mw-parser-output .hlist dd:after{content:" ・\a0 ";font-weight:bold}.mw-parser-output .hlist dt:after{content:": "}.mw-parser-output .hlist-pipe dd:after,.mw-parser-output .hlist-pipe li:after{content:" |\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-hyphen dd:after,.mw-parser-output .hlist-hyphen li:after{content:" -\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-comma dd:after,.mw-parser-output .hlist-comma li:after{content:"、";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-slash dd:after,.mw-parser-output .hlist-slash li:after{content:" /\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li:last-child:after{content:none}.mw-parser-output .hlist dd dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li li:first-child:before{content:" (";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li li:last-child:after{content:")\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist ol{counter-reset:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li{counter-increment:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li:before{content:" "counter(listitem)" ";white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dd ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li ol>li:first-child:before{content:" ("counter(listitem)" "}

アリーナ・ロック[1]

ハードロック[2][3]

ヘヴィメタル[2]

グラム・メタル[4]

活動期間1965年 -
レーベル

Brain

RCA

EMI/ハーヴェスト

ヴァーティゴ

ポリグラム

East West

BMG

ソニー・ミュージック

SevenOne Music

公式サイトthe-scorpions.com

メンバー

クラウス・マイネボーカル

ルドルフ・シェンカーリズムギター

マティアス・ヤプス(リードギター

パヴェル・マチヴォダ(ベース

ミッキー・ディードラムス


旧メンバー別記参照

スコーピオンズ(Scorpions)は、ドイツハノーファー出身のロックバンド。旧西ドイツ出身のHR/HMバンドとしてアメリカ進出にも成功した、世界的に有名なロックバンドである。
略歴
結成(1965年 - 1971年)

1965年ルドルフ・シェンカーがバンドを結成。メンバーは、ルドルフ(リズムギター)、ヴォルフガング・ジョニー(ドラムス)、アヒム・キルヒホフ(ベース)、カール=ハインツ・フォルマー(リードギター)の4人組。当時はルドルフとヴォルフガングがヴォーカルを担当していた。

1967年、専任ヴォーカリストにヴェルナー・ホイヤーが加入。しかし、同年中に脱退し、後任にベルント・ヘグナーが加入。また、フォルマーも脱退し、後任にウルリッヒ・ヴォロビエツが加入。

1968年、ローター・ハインベルクがキルヒホフの後任として加入。マイケル・シェンカー(G) 1983年

1969年暮、コペルニクスで活動していたクラウス・マイネとルドルフの弟、マイケル・シェンカーを加える。その後、ドイツのメトロノーム傘下のブレイン・レコードと契約。
成功への道のり(1972年 - 1979年)

1972年に、コニー・プランクのプロデュースで、デビュー・アルバム『恐怖の蠍団 - Lonesome Crow - 』[5]を発売。十代のマイケル・シェンカーのギタープレイを大きくフィーチュアしていた。同年夏、ヴォルフガングがバンドを脱退。後任にアメリカ人のジョー・ワイマンが加入するも、ライヴの回数の多さの割に、全く稼ぎにならなかった状況にうんざりし、2ヶ月ほどで脱退。彼はその後アメリカへ帰国した。

1973年初頭、新たなドラマーにヴェルナー・ルーアが加入する。同年6月、UFOのサポートを務めた際、UFOのギタリストのバーニー・マースデンがショウに現れず、マイケルを代役として起用する。マイケルを気に入ったUFOはバンドへの加入のオファーを入れる。彼はオファーを受け入れ、スコーピオンズを脱退する。この出来事がきっかけでルドルフ以外のメンバーも相次いで脱退し、バンドは事実上の解散状態となる。ウリ・ジョン・ロート(G) 2015年フランシス・ブッフホルツ(B) 2015年ハーマン・ラレベル(Ds)

ルドルフは交流があったウルリッヒ・ロート(現・ウリ・ジョン・ロート)率いるドーン・ロードのリハーサルに顔を出し、そのまま加入する。さらにクラウスも呼び寄せ、ドーン・ロードはウルリッヒ、ルドルフ、クラウス、フランシス・ブッフホルツ(ベース)、ユルゲン・ローゼンタール(ドラムス)、アヒム・キルシュニング(キーボード)の6人組となる。この編成で何度かライヴを行った後、バンドはスコーピオンズへ改名する。同年末キルシュニングが脱退。

1974年RCAレコードと新たに契約し、4月からアルバムのレコーディングに取り掛かる。レコーディング後の6月にローゼンタールが脱退し、ユルゲン・フェヒターが加入。11月に、移籍第1弾となるアルバム『電撃の蠍団 - Fly To The Rainbow - 』を発表。セルフ・プロデュースの本作は、ロートのギターをフィーチャーしたハード・ロック色が濃く、以降のサウンドの基礎となる作品となった。翌年の2月頃、フェヒターが脱退し、ルディ・レナーズを加えて、ベルギーフランスで国外ツアーを行う。その後、スウィートのサポーティング・アクトで、北欧をツアー。この時、後に6人目のメンバーと呼ばれ、長年作品を手掛けることになるプロデューサー、ディーター・ダークスが自らプロデュースを申し出て、新作のレコーディングに着手する。

1975年9月、アルバム『復讐の蠍団 - In Trance - 』を発売。プロモーションの一環として、ロンドンのマーキー・クラブで、イギリスでのデビュー・コンサートを成功させる。キッスのサポーティング・アクトとして、西ドイツ国内ツアーを行う。ドイツの音楽誌での人気投票で、グループ部門3位を獲得。

1976年11月に、『狂熱の蠍団?ヴァージン・キラー - Virgin Killer - 』を発売。メロディ・ラインに哀愁を帯び、ハード・ロック・サウンドを前面に出した作品で、バンドの代表作となった。

1977年の全英ツアーは規模を拡大し、ホール・クラスでのバンドに昇格するが、レナーズが心臓病を患い脱退。後任のハーマン・ラレベルが加入し、5作目のアルバム『暴虐の蠍団 - Taken By Force - 』を発売。

1978年に来日。4月23日から27日まで公演を実施した。24日、27日の中野サンプラザでの2ステージをレコーディング、同年8月に、初のライヴ・アルバム『蠍団爆発 - Tokyo Tapes - 』として発売される。この後、ウルリッヒは、バンドがコマーシャルな方向に向かっていることを理由にバンドを脱退。バンドは、イギリスの音楽誌「メロディ・メイカー」紙に募集告知を掲載し、約140名をオーディションするが、後任は見つからなかった。改めてドイツでメンバーを探し、地元のハノーファーで、マティアス・ヤプスを5代目リードギタリストに迎える。1978年9月、新ギタリスト披露のため、ドイツで開催の「サマータイム・オープン・エアー・フェスティバル」出演。ニューアルバムのレコーディング直前、アルコールとドラッグの併用で精神的な支障をきたし、UFOから失踪・脱退していたマイケル・シェンカーを、ルドルフ・シェンカーとクラウス・マイネが迎え、レコーディングに参加。アルバム制作に関わっていくうちにマイケルの復帰が決まり、マティアスはバンドから追い出される形となる。

1979年2月、6人編成で制作されたアルバム『ラヴドライヴ - Lovedrive - 』を発売。


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