スコット・トゥロー
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スコット・トゥロー

スコット・トゥロー(Scott Turow、1949年4月12日 - )は、米国シカゴ生まれのリーガルサスペンス(リーガルスリラー)小説家ノンフィクション作家で、法曹界でも活躍する現役の弁護士。元検事補。死刑廃止論者[1]。「スコット・タロー」と表記する翻訳書もある。

日本では映画化された小説『推定無罪』が代表作と見なされ、国際的には六作の小説と二作のノンフィクションが25ヶ国以上で翻訳・出版され、あわせて2500万部以上出版されている人気作家である。

法律家としては、イリノイ州知事ジョージ・ライアンから死刑諮問委員に任命され、報告書(答申)を起草し、ライアン知事を死刑囚全員減刑、死刑制度一時停止宣言へと導く一翼を担った(2002年)。
プロフィール

アマースト大学を1970年に卒業後、1971年に画家アネットと結婚。スタンフォード大学クリエイティブライティングセンター(大学院)の特別研究資格を得て、1972年まで創作を学び、1975年までスタンフォード大学で講師を務めた。

スタンフォード大学を退職して法曹界に転身を図ることにして、1975年にハーバード・ロー・スクールに入学。入学前に、ロー・スクールでの最初の1学年についてのノンフィクション著作を執筆・出版する契約を出版社と締結した。その著作が、 One L (日本語題『ハーヴァード・ロー・スクール わが試練の一年』)であり、同書は1977年に出版された。1978年、ハーバード・ロー・スクールを卒業しジュリス・ドクター(日本の法務博士に相当)を取得。同年、シカゴ地区連邦検察局検事補に採用され、1986年まで勤務する。検事補としては、州司法長官ウィリアム・スコット詐欺事件など著名な汚職事件を担当した。またシカゴで起きた法曹の賄賂や州判事の汚職で知られるオペレーショングレイロード事件などにも積極的な助言を行なっている。

連邦検察局在職中に執筆した Presumed Innocent (『推定無罪』)がベストセラーとなったのを契機に、検事補を退職して作家活動を開始した。

2005年現在、妻・三人の子どもの家庭を持ち、シカゴ郊外に在住している。
作家活動

ニューヨーク・タイムズの年間ベストセラー小説リスト (List of bestselling novels in the United States) によれば、 Presumed Innocent (『推定無罪』)が1987年に第7位、 The Burden of Proof (『立証責任』)が1990年に第3位、 Pleading Guilty (『有罪答弁』)が1993年に第8位、 Personal Injuries (『囮弁護士』)もベストセラー入りを果たしている。雑誌タイムは1990年6月11日付の表紙に取り上げ、「訴訟時代の詩人」と評した。

アラン・J・パクラ監督により1990年に映画化された『推定無罪』は、世界で2億ドル以上の興行収入を上げた。配役はハリソン・フォードブライアン・デネヒー、ラウル・ジュリア(『アダムス・ファミリー』)など。
法律家活動

作家活動開始後は、シカゴのソネンシャイン・ナス・ローゼンタール国際弁護士事務所のパートナー弁護士として、無料弁護(プロボノ)を引き受け、弁護活動に従事。ほとんどの時間は後述する二つの死刑事件についての再審に割いた。検事補時代の米国には死刑制度はなかったが、1988年に死刑が復活、1994年より広範に死刑が適用される事態となっている。学生・院生時代を通じトゥローは死刑制度が野蛮であると感じつつ、死刑に敢えて反対はしないものの、死刑制度が社会に対し良いことをもたらすと説明する術(すべ)を持てなかった。

再審の一つ目は1994年、死刑囚アレックス・ヘルナンデス (Alejandro Hernandez) の弁護人を受任し、検察官警察官による証拠捏造、デュー・プロセス無視など数々の事実を暴いて冤罪を立証、1995年に確定判決を覆して無罪をかちとり、ヘルナンデスの11年におよぶ死刑囚生活に終止符をうたせ、釈放させる。この冤罪事件でトゥローは、検察官や警察官、そして陪審員が、誤った証拠を真に受け、さらに捜査官憲が証拠捏造にまで手を染める事実を学んだ。

二つ目に、強盗殺人事件ではあったが、当初は殺害の意図はなく、結果的に偶発的殺人におよんだ死刑囚クリス・トーマス (Christopher Thomas) の弁護人を1996年に受任している。犯行のタイミング、あるいは殺意を持ち続けたうえでの犯行と衝動的殺人との間に量刑の不均衡があると感じ、死刑を適用する基準に疑問を持ったからであった。この事件の受任中にトゥローは、人種・性別による量刑の不均衡や、事件によっては司法処理上の本質的ではない偶発的条件によって量刑が左右される現実を認識するに至った。死刑確定判決後、トゥローら弁護人は非常救済手段のための請願などで再審を働きかけた結果、レーク郡巡回裁判所は1999年12月、検察官がトーマスに不利となる証言を強制してトーマスの権利を侵害したと認定。トーマスの死刑判決を覆して、懲役100年に減刑する判決となった。受刑態度によってトーマスは、71歳で釈放される可能性がある。


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