この項目では、アイススケート用のスケート靴について説明しています。陸上のスケート靴については「ローラースケート」をご覧ください。
スケート靴(アイスホッケー用)
スケート靴(スケートぐつ)とは、氷上を滑走(スケート)する際に着用する履物で、ブーツ状の靴(アッパー)と、靴底につけられたブレード、その両者をつなぐソールからなる。ブレードが氷に接する面をとくにエッジと呼ぶ。
歴史オラウス・マグヌス『北方民族文化誌』スケートで転倒する聖リドヴィナ
先史時代のスカンジナビア半島の遺跡からは、スケート用に加工された動物の骨が発掘されている。とくによく使われたのがまずウマ、次いでウシ、そのほかエルクやアカシカ、ヒツジなどの橈骨や脛骨の部分である。[1]
これらの骨は削られ、穴があいているものもあり、おそらく紐状のもので履物に縛りつけて用いられたと考えられている。同様のものはロシアやドイツ、イギリス、フランス、スイス、スロバキアなどヨーロッパ各地で見つかっている。シベリアではセイウチの歯を加工していた例もある。
中世においてもヨーロッパではこのような骨製の用具が使われていた。12世紀イギリスのカンタベリー大司教、トマス・ベケットの書記だったウィリアム・フィッツスティーヴン(William Fitzstephen)は、当時のロンドンでは冬にテムズ川に注ぐ水路の水が凍ると、若者たちが動物の脛骨を使い、氷上を滑って楽しんでいたと記録している。彼らはストックを手に氷の表面を突いて滑走し、時には互いに向かい合って打ち合うゲームもしていた。[2] 実際に12世紀のロンドンの地層からは骨製のスケートが見つかっている。[3] 14世紀のオランダでは骨に代わって木がスケート靴に使われるようになる。これには9世紀に北欧からヴァイキングがオランダにもたらしたという説もあり、1555年にオラウス・マグヌスが著した『北方民族文化誌』にも、ストック状のものを舵取りに使い、スケート靴というよりは短いスキー板に近い道具を使って滑走する極北地方の人々を描いた木版画がある。 オランダの聖女リドヴィナ
木のスケート靴
16世紀フランドルの画家ピーテル・ブリューゲルは、冬の風景をテーマとした一連の作品の中にスケートをする人々を描いている。『ベツレヘムの人口調査』(1566年)では、子どもたちがソリ遊びをする凍った川の岸辺で、スケート靴をはくためにしゃがみこんでいる人物の姿を見ることができる。この絵に描かれたスケートは、板状のものを金具で補強し、先端は細く尖って上を向いている。この人物はその板の上に自分の足を靴をはいたまま載せて、紐で足を固定している。
また、中国には竹を使ったスケート靴があった。
鉄のスケート靴オランダのスケート靴
時代が下り、木のスケートから鉄材(ステンレス)ブレードを備えたスケートへ進化した。最初の頃の鉄のスケート靴は、現在のエッジだけの粗末なものである。市販で売られているエッジに紐を結んでその上に靴を載せて結んで滑ると、鉄のスケートになる。かかとや爪先は、多少固定できるように囲いがあったが、形状は似ている。木のスケート靴と比べれば、「割れない性質」へ改善された。しかし、木のスケート靴よりも足首を痛めやすく、怪我をする割合も高かった。靴とエッジが組み合わさったのは、鉄のスケート靴ができてからである(エッジの誕生)。