この項目では、スクーター型オートバイについて説明しています。
地面を蹴って進むスクーターについては「キックスケーター」をご覧ください。
ドイツのテクノグループ「Scooter」については「en:Scooter (band)
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スクーター(英: Scooter)は、オートバイのうち運転者の足元にあるステップ状のフロアに足を乗せて運転する車種の総称である。スズキ・アドレスV125イタリアのベスパホンダ・PCX(124cc、2010年 - ) 一般的には無段変速機などによるオートマチックトランスミッションを搭載し、後輪サスペンションエンジンと一体化したユニットスイング式とするものが多く、エンジンをはじめとした機器類はカウルによって覆われる。前方にステップが備わり乗降時に足を高く上げる必要がなく、スクーター以外のオートバイと比較して容易に取り扱うことができる。 元々英語ではキックスケーターのことをscooter[注 1]と呼んでいたが、それと同様の外観でエンジンなどを積んでいることから前述のようなオートバイについてもscooterと呼ぶようになった[注 2]。 ヨーロッパの型式認証制度では軽スクーターは高速電動自転車などとともにLカテゴリー車に分類されている[1]。 1910年代にアメリカのAutoped Company社がキックスケーターの前輪にエンジンを一体化させた立ち乗りスクーターとしてAutoped
概要
歴史
欧米のスクーター史
スクーターの起源
1920年にイギリスGloucestershire Aircraft社が発売したUNIBUSには外装パネルが全体に装備され、機械構造部分はほぼカバーされていた。1930年代には、アメリカのCushman、Powell、Salsbury他、数社が外装で覆われた小排気量エンジンと小径ホイールを備えた、スクーターとしてほぼ完成されたスタイルを持つオートバイを販売している。
現在のスクーターのスタイルを決定づけた機種は、1946年に製造が開始されたイタリア・ピアッジオ社製のベスパ98であると考えられがちだが、前述の基本的なスタイル要素はベスパ登場以前にすでに完成されていた。 2020年、新型コロナウイルスの世界的な大流行により公共交通機関による通勤を避けるため、アメリカでもスクーターの売り上げが大幅に増加したり、レンタルスクーターの需要が高まる動きがみられた[3]。しかし、経験の浅い運転者の増加により安全上の危険も問題視された[3]。 1953年(昭和28年)に通商産業省(現・経済産業省)等が定めた定義では「原動機を座席の下に設け、前方に足踏台のある、車輪の直径が22インチ以下であるような2輪自動車を指す[4]」とされる。 日本で本格的に普及した最初のスクーターは、富士産業(現:SUBARU)が1946年6月末に試作車を完成させ製造開始したラビットと、中日本重工業(現:三菱重工業)が1946年12月より製造開始したシルバーピジョンである。これら2社はスクーターの存在すら知られていない中、戦前に少数持ち込まれたアメリカ製のスクーターを参考にGHQの許可を得て、台数を規制されながら製造した[5]。 1976年にホンダはシンプルな構造のロードパル(通称「ラッタッタ」)を発売し、簡単操作、軽量、低価格を売りにして主婦層への浸透を図った。これに対抗してヤマハは1977年にパッソルを発売した。前者はモペッド、後者はスクーターであり構造が違うが、当時は両者ともミニバイク・ソフトバイクと呼ばれ同一視され、主婦層に普及した。 ホンダ・スペイシー250フリーウェイは250ccのエンジンを採用し、さらにホンダ・フリーウェイでヘルメットを2個収納可能なメットインタイプとなった。また、1986年発売のホンダ・フュージョンはロングホイールベースを初めて採用したが、当時はそれほど注目されなかった。これらのクラスはホンダの独壇場であったが、1995年にヤマハがマジェスティを発売し、そのデザインと共に利便性・快適性を求めたコンセプトがヒットしシェアは8.6%[6]となった。
Autoped
Skootamota
Vespa 1952年
コロナ禍の影響
日本のスクーター史
黎明期日本で最初に普及した「ラビット」
ソフトバイクブーム
ヤマハ・パッソル(50cc。1977年)
ホンダ・タクト (50cc。1983年)
ホンダ・ビート 世界初水冷2サイクル50ccスクーター
ビッグスクーターブーム
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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