スクランブル
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この項目では、軍事用語について説明しています。その他のスクランブルについては「スクランブル (曖昧さ回避)」をご覧ください。

スクランブル(英語: Scramble)とは、地上待機の要撃戦闘機が警報を受けて緊急離陸すること[1]。また戦闘機のほか、哨戒機救難機等も緊急発進を実施することから、これらを指して用いられることもある。
概要

国際民間航空条約第1条は「いずれの国も、その領域上の空域に対して、完全かつ排他的な主権を持つ」と定めている[2]。一方で国際民間航空条約は無着陸横断飛行など一部の飛行については領空での自由な飛行を認めている[2]

国際民間航空条約等の規定に違反して領空を侵犯する航空機に対しては、自国の軍用機によって退去・着陸・航路変更などの措置を講じる必要がある[2]。そこで侵入機の高度にまでいち早く達して相手機の確認を行う必要があり、これを緊急発進(スクランブル)という[2]

航空管制では緊急発進機(スクランブル機)に対して飛行の優先権が与えられ、上昇方位のみを伝達して発進を許可するのが通例である[2]
航空自衛隊のスクランブル(対領空侵犯措置)空自によるスクランブルの対象となったロシア機・中国機の飛行パターン例
アラートの開始に至る経緯

1952年10月頃より、道北道東部を中心としてソビエト連邦機の飛来が急激に増加し、10月7日には歯舞群島付近を飛行中のアメリカ空軍B-29 1機がソ連機に撃墜され、11月4日には根室半島上空でLa-11戦闘機とF-84戦闘機による空中戦にまで至った[3]

当時、日本は既に連合国軍の占領を脱して主権を回復し、保安庁を設置していたものの、領空侵犯を有効に排除しうる航空戦力は保有していなかった[3]。1953年1月13日、日本政府は、領空侵犯が発生した場合には在日米軍の協力を得てこれを排除する措置をとることを決定、また日本側がこれを発表した直後にはアメリカ極東軍司令部もこれに同調した声明を発表した[3]。極東空軍隷下に編成されていた日本防衛空軍(Japan Air Defense Force, JADF)が防空の任にあたっており[4]、2月16日には、千歳基地から発進したアメリカ空軍のF-84戦闘機が根室付近で領空侵犯するソ連のLa-11戦闘機を捕捉、銃撃を加える事件が発生した[3]

1954年7月1日に航空自衛隊が発足すると、対領空侵犯措置[5]はこちらに引き継がれることになり、自衛隊法第84条にそのための規定が盛り込まれた[3]。ただし戦力の整備がなかなか進まなかったことから、対領空侵犯措置について長官が一般命令を発出したのは1958年2月のことであり[3]、同年4月28日より第2航空団・第3飛行隊のF-86F戦闘機が昼間の警戒待機(アラート)を開始、5月3日には初のスクランブルを実施した[6]

当初、待機時間は平日の10時から14時の4時間であったが、人員の充足が進むのに従って待機時間が逐次延長され、12月22日には日の出30分前から日没までの昼間待機が実施されるようになった[6]。後にF-86Dの配備とともに夜間のアラートも開始され、1964年10月には航空自衛隊の全航空方面隊において昼夜間待機の態勢が整い、翌年6月、アメリカ空軍は警戒待機を終了した[6]
警戒待機

航空自衛隊では、下記の7か所の基地で警戒待機を行っている[7]

千歳基地第2航空団

三沢基地第3航空団

小松基地第6航空団

百里基地第7航空団

新田原基地第5航空団

築城基地第8航空団


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