スキージャンプ・ペア
[Wikipedia|▼Menu]

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: "スキージャンプ・ペア" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年7月)

スキージャンプ・ペア
ジャンルスポーツ
アニメ:スキージャンプ・ラージヒル・ペア Torino 2006
監督真島理一郎
製作デジタルハリウッド
配信サイトKDDI「111.tv」
配信期間2002年 - 2003年
話数全1話
その他デジタルハリウッド卒業制作
OVA:スキージャンプ・ペア オフィシャルDVD part.2
原作真島理一郎
監督真島理一郎
発売日2004年12月22日
OVA:スキージャンプ・ペア8 オフィシャルDVD
原作真島理一郎
監督真島理一郎
発売日2005年12月7日
映画:スキージャンプ・ペア
Road to TORINO 2006
総監督真島理一郎
監督小林正樹
音楽宮川弾
制作国際スキージャンプ・ペア連盟
配給ファントム・フィルム
封切日2006年1月28日
上映時間82分
テンプレート - ノート

スキージャンプ・ペア(Ski Jumping Pairs)は、真島理一郎製作のデジタルアニメーション及びその中で描かれている架空のスポーツ競技。
概要

二人の選手が一組のスキー板を使ってジャンプするというもので、荒唐無稽な空中姿勢や動きが見どころ。インターネットのブロードバンド配信サービスでの公開によって大人気となり、世界各国の映画祭などで上映された。その後、新映像を追加したDVDが発売となり、個人製作CG作品としては異例のヒットとなった。
作品経緯

映像作家真島理一郎が、在学していたデジタルハリウッドの卒業制作として制作。映像だけでなく、競技誕生に至るまでの歴史など、ほぼ全ての世界観がこの時すでに完成されていた。

2006年には競技パート以外の部分を実写で撮影した映画版が公開されている。
競技概要

スキージャンプ・ペア(ペア・ジャンプ)は従来のスキージャンプ(ソロ・ジャンプ)と同じジャンプ台を使って行われる。現在のところ、公式戦はラージヒルのみ。

スキー板はソロ・ジャンプ用の板よりやや長いものに2組のビンディング(つま先を固定する金具)が取り付けられている。ペア・ジャンプでは選手が飛行中にどちらか(あるいは両方)の足を板から離す事も多いため、特別なビンディングが用いられている可能性が高いが詳細は不明。

ソロ・ジャンプと同様に飛距離点と飛型点の合計を競うが、飛型点がより重視されている。フロントジャンパー(フロント)とバックジャンパー(バック)のどちらか一人が足をスキー板に固定していれば良く、着地の際、足を固定していない選手が転倒しても減点されない(エキシビジョンなどでは二人とも両足を離す技も披露されている)。

選手の
甥っ子が3歳未満であれば、これを使用しても良い。(過去大会で日本の原田・大石ペアが使用し、問題となったが許可されることとなった)

歴史

スキージャンプ・ペアは北海道旭川市出身の物理学者、原田敏文(1945年 - 2001年)が1994年に発表した「特殊飛行体分裂論」(通称:ランデブー理論)から生まれた。氷点下の状態における有機物の運動について述べたこの理論によれば、一人より二人でジャンプした方がより安定し、遠くへ飛ぶ事ができる。高校生ジャンパーとして活躍し始めていた原田博士の息子たちが父の研究に協力し、1998年2月14日、大倉山ジャンプ競技場で人類初の有人ペア飛行に成功した。

国際スキージャンプ連盟(FIJ、ちなみに国際スキー連盟とは何の関係もない)は、当初ペア・ジャンプを危険であるとして競技化を認めなかったが、原田一家の熱意が実って2000年には第1回ワールドカップが開かれ、2006年にはトリノオリンピッグ[1]の正式種目に採用されるまでに至る。

なお、実行委員会公式サイトの年表が部分的に映画の内容と異なるのは後述する不思議な現象の影響と思われる。
選手

詳しくはスキージャンプペアシリーズの登場キャラ一覧を参照のこと。また一部の選手は同じ真島作のCG作品である『CINEMA KEIBA/JAPAN WORLD CUP』にも騎手として登場している。
日本


原田昭則 (はらだ あきのり)

原田道則 (はらだ みちのり)原田博士の双子の息子。第1回・第2回ワールドカップを連覇したが、昭則は2002年に自動車事故で急死。[2]

大石一彦 (おおいし かずひこ)原田兄弟の後輩で、兄の死により一時引退していた道則の新パートナー。

原田洋平 (はらだ ようへい)道則の甥っ子(昭則の遺児)で平成の悪い子代表。トリノオリンピッグ[1]決勝に乱入し、原田・大石ペアに逆転金メダルをもたらした。このことがきっかけで3歳未満の甥っ子の使用が正式にルール化されたが、彼自身は年齢制限のためにエキシビション以外には参加できなくなった。大きくなったらコアラになるらしい。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef