スカラ座
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「スカラ座」のその他の用法については「スカラ座 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ミラノ・スカラ座


情報
種別歌劇場
開館1778年8月3日 (1778-08-03)
所在地 イタリア ミラノ
外部リンク ⇒公式HP
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スカラ座(イタリア語: Teatro alla Scala、あるいは単にイタリア語: La Scala)は、イタリアミラノにある歌劇場である。初代の宮廷劇場以来の伝統を持つイタリアオペラ界の最高峰とされる。
歴史

現在の建物は2代目のもので、初代の歴史的建築物のテアトロ・レージョ・ドゥカーレ(イタリア語版、英語版)は1776年2月25日謝肉祭のガラ・コンサート後に焼失した。劇場のバルコニー席(palchi)を持つ裕福な90人のミラノ市民がオーストリア大公フェルディナントに新しい劇場の建設と、新劇場完成までの仮劇場の提供を依頼した(当時ミラノはオーストリアの領地であった)。

新古典主義の建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニ(イタリア語版、英語版)が最初の設計案を作ったが、オーストリア長官のフィルミアン伯爵はこれを却下した。1776年、第2案が女帝マリア・テレジアにより承認された。

新劇場は以前サンタ・マリア・アッラ・スカラ教会(イタリア語版、英語版)のあった場所に建設され、ここから劇場名がとられた。教会は取り壊され、ピエトロ・マルリアーニ、ピエトロ・ノゼッティ、アントニオおよびジュゼッペ・フェが2年を費やして劇場を完成した。新劇場は「公国立スカラ新劇場(イタリア語: Nuovo Regio Ducal Teatro alla Scala)」の名で1778年8月3日に落成し、アントニオ・サリエリ作の『見出されたエウローパ(イタリア語版、英語版)』でこけら落としを行った。

ハプスブルク帝国時代に創立されたこともあり(他のイタリアの歌劇場と比べて)ドイツオペラへの適応力も伝統的に高く、フルトヴェングラー指揮の『ニーベルングの指環』などの歴史的録音も残している。1950年代前半のカラヤンはドイツ圏の歌劇場に足場がなかったこともあり、同歌劇場ドイツオペラ主任として『ドン・ジョヴァンニ』『ばらの騎士』『タンホイザー』などを指揮し、自らのオペラ活動の中枢としていた。上記作品を含む多くの演目で、彼の戦後の初指揮は同歌劇場で行われている。
設備など内部

建設費はバルコニー席の売上げで賄われ、各ボックスの持ち主は自席を豪華に飾り立て、スタンダールら観客に強い印象を与えた。劇場はほどなく「スカラ座」の名で知られるようになり、高貴で裕福なミラノ市民の絶好の社交場となった。当時の慣習では、平土間席(プラテア)には座席が無く、観客は出し物を立ったまま鑑賞した。オーケストラ・ピットの構造はまだ導入されておらず、オーケストラは客席から丸見えであった。

スカラ座は一貫して、バルコニー席の階上に余り裕福でない人でも観劇できるようなガレリア席を設けている。これはロッジョーネ(天井桟敷)と呼ばれる。ロッジョーネへの入口は、通常の正面入口とは別に建物横に造られている。

スカラ座の当初の照明は油のランプで、舞台用の84基およびその他劇場内のための数千基が設置されていた。そのため何百個もの防火用水入りバケツを多数の部屋一杯に配置していた。その後油ランプはガス灯に替わり、1883年には電灯に交換された。当初の構造は1907年に改修されて今日の配置と同様になった。

第二次世界大戦中は、ミラノがイタリア社会共和国(サロ政権)下に置かれていた1943年に受けた連合国軍機による爆撃で大きく破壊されたがその後修復され、ヨーロッパ戦線における戦闘が終結してからわずか1年後の1946年5月11日に、アルトゥーロ・トスカニーニの指揮による演奏会で再開した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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