スカウト運動
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スカウト運動
スカウト章と三弁章
国世界中
創設1907年
創設者ロバート・ベーデン=パウエル



 ウィキポータル スカウト

スカウト運動(スカウトうんどう、英語: Scout Movement)、スカウティング(Scouting)は、若者の社会で有用とされ得る肉体的・精神的スキル向上の手助けを目的とする教育運動。

その教育はアウトドアとサバイバル技能に重きを置く。この運動は20世紀の前半期にカブスカウトボーイスカウトローバースカウトの三つの部門をもつまでに成長し、また1910年には新たに女子教育のためにガールガイドブラウニー・ガイド・レンジャーの部門を持つ)が設立された。今日では世界的な青少年組織の一つとなっている。

イギリス陸軍中将であったロバート・ベーデン=パウエルは1906年と1907年に少年向けの偵察斥候術の本を著した。1908年に、ベーデン=パウエルは先に出版した自らの軍事関係の著書を基に、フレデリック・ラッセル・バーナム、アーネスト・トンプソン・シートン(ウッドクラフト・インディアンズの指導者)、ウィリアム・アレクサンダー・スミス(ボーイズブリゲードの指導者)の助言と援助を得てピアソンからスカウティング・フォア・ボーイズを出版する。この本ために、ベーデン=パウエルは1907年の夏にブラウンシー島で実験キャンプを行っている。一般的にはこの実験キャンプとスカウティング・フォア・ボーイズの出版をもって、スカウト運動が始まったとみなされている。

スカウト運動はスカウト教育法と呼ばれる、キャンプ、工作、ウォータースポーツ、ハイキング、トレッキング、スポーツなどを含む実践的アウトドア活動に重きを置くインフォーマル教育プログラムを採用している。他にスカウト運動の特徴としては制服の存在が広く知られている。ネッカチーフハットなどからなる制服は、加盟員の社会経済的背景や人種といったものを隠す役割を持っている。フルール・ド・リスないし矢じりをかたどった制服に用いられる独特の記章が用いられる。

スカウト運動には二つの世界的な包括的団体が存在する。世界スカウト機構(world Organization of the Scout Movement; WOSM)は男性のみないしコエデュケーション(男性と女性の両方の参加を認める)の団体で、ガールガイド・ガールスカウト世界連盟(英語版) (World Association of Girl Guides and Girl Scouts; WAGGGS) は基本的に女性のみの団体で構成される。2007年はスカウト運動100周年(英語版)の年であり、世界的な規模で祝賀行事が執り行われた。

日本においては、第二次世界大戦以前から活動が開始されていたが、敗戦後の占領政策により活動禁止処分を受けた。しかし、日銀総裁・三島弥太郎の長男で旧子爵であった三島通陽および、元朝日新聞記者の村山有が中心となっておこなわれたダグラス・マッカーサー元帥あての請願によって活動の再開が許可され、一般への普及が図られた[1]
沿革
起源

スカウト運動は事実上自然的に発生したものであるが、大きなきっかけとなったのは1908年のスカウティング・フォア・ボーイズ刊行であった[2][3]。英国で最も有名なパブリックスクールの一つであるチャーターハウス在学中に、ベーデン=パウエルは野外活動に興味を持った[4]。のちにベーデン=パウエルは陸軍士官として1880年代に英領インド帝国へと赴任した際に軍事的な斥候術に興味を持ち、1884年に『偵察と斥候術』(Reconnaissance and Scouting) を著した[5]

1896年、ベーデン=パウエルはフレデリック・キャリントンの参謀として第二次マタベル戦争中の南ローデシアのマタベルに赴任し、そこで初めて、のちに生涯の友となるフレデリック・ラッセル・バーナムと出会った[6][7]。この赴任はベーデン=パウエルにとって、ただの敵地での偵察生活ではなく、のちにボーイスカウトにつながる着想の原体験となった[8]。斥候隊がブラワヨへ向かう間バーナムはベーデン=パウエルを鼓舞し、彼にウッドクラフトを教えたが、これらがのちに『スカウティング・フォア・ボーイズ』文中に現れるプログラムや行動規範につながっている[9][10]。アメリカの西部開拓者や先住民が用いたウッドクラフトは、イギリス人にはほとんど知られていなかったが、アメリカ出身であったバーナムはこれをよく知っていた[6]。これらの技能は最終的に現在のスカウト技能の基礎となり、スカウティングの基礎をなしている。両者はアフリカにおける戦争の様相が著しく変化しており、イギリス軍がそれに適応しなければならないということを共に認識していた。そのため斥候任務の間、ベーデン=パウエルとバーナムは広く青年に探検や狩猟、自らを頼むことなどを含むウッドクラフトの訓練を施すプログラムの構想について議論していた[11]。また、この時がベーデン=パウエルが彼のトレードマークとなるキャンペーン・ハットを初めて被った時であり、のちにブラウンシー島で最初のスカウトたちの目覚ましに使うこととなるクーズーの角笛を手にしたのもこの時であった[12][13][14]


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