スカイラブ2号
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スカイラブ2号離脱するアポロ宇宙船から撮影されたスカイラブ

運用者NASA
COSPAR ID1973-032A
SATCAT 6655
任務期間28日49分49秒
飛行距離1,850万キロメートル
周回数404


特性
宇宙機アポロ司令・機械船-116
製造者ロックウェル・インターナショナル
打ち上げ時重量19,979キログラム


乗員
乗員数3
乗員ピート・コンラッド
ジョセフ・カーウィン
ポール・ウェイツ


任務開始
打ち上げ日1973年5月25日
13:00 UTC
ロケットサターンIB SA-206
打上げ場所ケネディ宇宙センター第39発射施設


任務終了
回収担当USSタイコンデロガ
着陸日1973年6月22日
13:49:48 UTC
着陸地点.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯24度45分 西経127度2分 / 北緯24.750度 西経127.033度 / 24.750; -127.033


軌道特性
参照座標地球周回軌道
体制地球周回低軌道
近点高度428キロメートル
遠点高度438キロメートル
傾斜角50.0度
軌道周期93.2分
元期1973年6月4日[1]


スカイラブのドッキング(捕捉)
ドッキング前方
ドッキング(捕捉)日1973年5月26日
09:56 UTC
分離日1973年5月26日
10:45 UTC
ドッキング時間49分[2]
スカイラブのドッキング(捕捉)
ドッキング前方
ドッキング(捕捉)日1973年5月26日
15:50 UTC[2]
分離日1973年6月22日
08:58 UTC[3]
ドッキング時間26日11時間2分


上層部の手違いにより、スカイラブの記章に書かれている飛行番号は実際のものとは異なることとなった。

左から右にカーウィン、コンラッド、ウェイツスカイラブ計画
有人宇宙飛行スカイラブ3号 »

スカイラブ2号 (SL-2。SLM-1[4]とも称される) は、アメリカ合衆国初の宇宙ステーションスカイラブで行われた最初の有人宇宙飛行である。 サターンIB型ロケットに搭載されたアポロ宇宙船で、3名の宇宙飛行士が軌道上にある実験室に向かった。スカイラブ2号という名称は、計画のために使用された機体のことも指す。2号の飛行士らは人間の宇宙滞在期間の記録を28日間まで更新し、さらに宇宙ステーションに滞在した人間として初めて安全に地球に帰還した。これ以前に行われたステーション飛行は、1971年にソビエト連邦ソユーズ11号サリュート1号に24日間滞在した例があるのみで、3名の飛行士は帰還の際の事故で死亡していた。

有人のスカイラブの計画番号は正式には「スカイラブ2、3、4号」であるが、番号を指定する際の連絡ミスにより、計画の記章にはそれぞれ「スカイラブI」「スカイラブII」「スカイラブ3」と表記されることとなった[4][5]
飛行士

地位飛行士
船長
ピート・コンラッド (Pete Conrad)
4回目で最後の宇宙飛行
科学飛行士ジョセフ・カーウィン (Joseph P. Kerwin)
唯一の飛行
飛行士ポール・ウェイツ (Paul J. Weitz)
初飛行

予備搭乗員

地位飛行士
船長
ラッセル・シュウェイカート (Russell L. Schweickart)
科学飛行士ストーリー・マスグレイヴ (F. Story Musgrave)
飛行士ブルース・マッカンドレス2世 (Bruce McCandless, II)

支援飛行士

ロバート・クリッペン (Robert Crippen)

ヘンリー・ハーツフィールド (Henry Hartsfield)

ウィリアム・ソーントン (William E. Thornton)

リチャード・トゥルーリー (Richard Truly)

諸元

質量 : 19,979キログラム

最大高度 : 440キロメートル

飛行距離 : 18,536,730.9キロメートル

発射機 :
サターンIB型ロケット

近地点 : 428キロメートル

遠地点 : 438キロメートル

軌道傾斜角 : 50°

軌道周回時間 : 93.2分

暫定的ドッキング : 1973年5月26日 09:56 UTC

切り離し : 1973年5月26日 10:45 UTC

ドッキング時間 : 49分

確定的ドッキング : 1973年5月26日 15:50 UTC

切り離し : 1973年6月22日 08:58 UTC

ドッキング時間 : 26日11時間2分

船外活動

ウェイツ ? EVA1 ? (立ち姿勢での船外活動 ? アポロ司令船の搭乗用ハッチから)

EVA1 開始 : 1973年5月26日 00:40 UTC

EVA1 終了 :5月26日 01:20 UTC

期間 : 40分

コンラッドおよびカーウィン ? EVA2

EVA2 開始 : 1973年6月7日 15:15 UTC

EVA2 終了 : 6月7日 18:40 UTC

期間 : 3時間25分

コンラッドおよびウェイツ ? EVA3

EVA3 開始 : 1973年6月19日 10:55 UTC

EVA3 終了 : 6月19日 12:31 UTC

期間 : 1時間36分

主要な任務 目視点検で撮影された映像

スカイラブ本体は5月14日の発射の際、深刻なダメージを負った。微小隕石保護シールドと主太陽電池板の一つが空気抵抗で脱落し、残った太陽電池板も破片がひっかかって展開できなくなっていた。シールドは太陽熱から機体を守る役割も兼ねていたため、船内の温度が上昇しはじめた。またこの熱でプラスチック類が溶けだし、発生した有毒ガスが搭載されているフィルムや食料を損傷させるおそれも出てきた。第一回飛行の搭乗員は翌5月15日に出発することが予定されていたが、技術者らが考案した修理方法を習得する訓練のために発射は延期された[6]:253?255,259。一方地上の作業員は、船内を呼吸用の酸素と窒素の混合ガスで満たす前に、窒素ガスで4回にわたり浄化した[7]

5月25日、2号はケネディ宇宙センターの39B発射台から打ち上げられた。サターンIBロケットの発射はほとんど5年ぶりで、また39Bから打ち上げられるのはこれが二度目のことであった。ロケットの燃焼は平常通りに行われるものと思われたが、ほんの一瞬の不具合が生じたため、危うく計画全体がご破算になるところであった。点火の際、サターンロケットに指令信号が送られたとき、機器が誤って電源を内部から外部に切り替える指示を出したのである。これはロケットの推進システムではなく、電気系統を停止させることになるような指令だった。仮にそのような事態になっていたら、サターンIBは電源を失ったままロケットエンジンに点火されていた可能性があった。飛行士を乗せた司令船は緊急脱出用ロケットが作動して本体から切り離され、さらにコントロールを失ったロケット本体は自爆装置が作動して爆破されるという最悪のシナリオが待っていた。だが停止信号が送られた時間は1秒にも満たず、ロケットの電気系統が反応するには時間が短すぎたため、実際には何事も起こらず発射はそのまま進行した。この故障は後にその過程が追跡され、発射台の電気系統には改良が施され、同じような事故が二度と発生しないよう適切な手段がとられた[6]:269[8]。スカイラブに到達すると、コンラッドは アポロ司令・機械船 (Command Service Module, CSM)を操縦してスカイラブの周囲をまわり、損傷の具合を検査した。その後飛行士が食事をしている間に軌道修正をするようなことになるのを避けるため暫定的なドッキングをし、その間地上の管制官は最初の修理の方法について検討した。その後宇宙船はステーションを離れ、コンラッドが引っかかっている太陽電池の横にCSMを移動させた。


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