スエヴィ人
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出典検索?: "スエビ族" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2020年6月)
ローマ兵とスエビ族

スエビ族(スエビぞく、: Suebi、西: Suevos、: Sueben、: Suebe、: Sueves、: Suebi)は、古代ヨーロッパの民族。「スエヴィ」「スエボス」「シュエビ」「スウェイビア」とも呼ばれる。

タキトゥスの『ゲルマーニア』に言及があり、いわゆるゲルマン系に属する民族として描かれるがケルト系の説もある等その民族系統は不明である。
歴史
民族移動時代の前のスエビ族橙(だいだい)色がスエビ人の居住区。現在の北中部ドイツ一帯に広がっている。

スエビ族は元々、バルト海南部を故地とするという。ローマではバルト海南東海域がスエビの海(Mare Suebicum)と呼ばれた。紀元前からゲルマニアに住み、ローマ領やガリア(現在のフランス)の地へ侵略を繰り返した。ローマでは民族移動時代の前ではゲルマニアに住む民族のうち最強の民族として知られていた。帝政期に入ってからもたびたび侵略し、スエビ族らの攻撃を防ぐためローマ帝国リーメスを建設する。
アリオウィストゥスの時代?ガリア戦記の記述詳細は「アリオウィストゥス」を参照

カエサルガリア戦記第一巻には、最大のライバルの一人としてスエビ族長アリオウィストゥスの名が残されている。紀元前71年ごろにアリオウィストゥスは多くのゲルマン人部族を率いてライン川を渡りガリア人の戦争に介入、ガリア内に一大勢力を築きローマとも関係を持った。紀元前58年にガリア人から救援依頼を受けガリア遠征を開始したカエサルと衝突、ウォセグスの戦いで惨敗してゲルマニアに敗走した。その後、彼が再びガリアに侵入することはなかった。ガリア戦記におけるスエビ族は「文明を知らぬ野蛮人」であるが非常に身体が大きく勇敢で、戦闘に優れた民族であると記されており、愚鈍などの形容はされていない。またアリオウィストゥスが12万人と称する多数のゲルマン人や部族を結集し自ら指揮を執ったことは、当時のゲルマニアにおけるスエビ族の優位性と指導者の権力の強さをうかがわせる。アリオウィストゥス率いるスエビ族やマルコマンニ族のライン川やエルベ川方面への西方移動は、マルコマンニ族の王国の終焉を示す資料がボヘミアで見つかっていることもあり、その始まりから考古学的に追うことが可能である。豊かな副葬品をもつこれらゲルマン人の墓は1930年代テューリンゲン州でも発見されている。
ガラエキアの王国のスエビ族411年頃のイベリア半島。薄灰色がスエビ王国500年頃のイベリア半島。水色がスエビ王国

ゲルマン民族の大移動の時期、一部のスエビ族は、陸路、あるいは、海路からイベリア半島のガラエキア(現ガリシア)地方に411年に定住しスエビ族のガリシア王国(英語版)(409年 - 585年ガリシア王国)を築いた。419年に、アラン族ヴァンダル族を追放し、原住民やローマ人とガラエキアを分割し、農村地帯を支配したといわれる。5世紀中葉に最初の全盛期を迎え、ガラエキアにとどまらず、現アストゥリアス地方西部、現カスティーリャ・レオン地方西部と現ポルトガルの北部にまでその版図は及んだ。

448年、アリウス派西ゴート王国に対抗して、スエビ王レキアリウスはカトリックに改宗した。しかし、456年西ゴートに首都ブラカラ(現ポルトガル北端部)を占領され、レキアリウスは囚われて、457年ポルトゥカレ(現ポルトガル北端部)で殺害された。


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