スウェーデン系フィンランド人
[Wikipedia|▼Menu]
スウェーデン系フィンランド人を象徴する旗。非公式[1][2]スウェーデン系フィンランド人の居住地域(黄色)

スウェーデン系フィンランド人(スウェーデンけいフィンランドじん、スウェーデン語:finlandssvenskar, フィンランド語:suomenruotsalaiset)は、フィンランドの少数派言語集団であり、文化的マイノリティでもある。スウェーデンから移住した人々とその子孫を中心とした集団であるが、近年ではフィンランド語系との通婚が進んでおり、アイデンティティーを共有することによって集団を形成している[注釈 1]
呼称、人口

フィンランド語では、一般的にsuomenruotsalaiset(フィンランドのスウェーデン人)と呼び、法的にはruotsinkieliset(スウェーデン語系の人)や、ruotsinkielinen vaesto(スウェーデン語系住民)と呼ぶ[3]。日本語表記では、スウェーデン語系フィンランド人もある[4][5][6][7]。また、スウェーデン語のfinlandssvenskarの直訳によるフィンランド・スウェーデン人という表記も存在する[8]

2001年時点で、フィンランドの総人口の5.7%にあたる約29万人がスウェーデン語を母語として住民登録している[9]

北欧の人々の多くが、「フィンランドのスウェーデン人」とはスウェーデン語を学んだ純粋なフィンランド人だと理解しがちだが、これに対してスウェーデン語系フィンランド人は反対する。スウェーデン語系にとってのルーツは中世の東スウェーデンに根ざした言語グループで、第1言語はスウェーデン語でありフィンランド語ではない[10]

スウェーデン語系に対するあだ名として、フッリ(hurri)という語がある。由来はエステルボッテン南部のフィンランド語方言であり、1780年代の海岸地帯のスウェーデン語系の人々を指した。1930年代に言語闘争(フィンランド語版)が起きてからは、軽蔑的なニュアンスで使われるようになった。1970年代にエステルボッテンのスウェーデン語系の人々が民族主義運動を起こした際は、スウェーデン語の勝鬨「フラー(hurra、万歳)」と混同させてフィンランド語の罵倒「フッリ」を連想させる「フッラルナ(hurrarna)」という語を使った[注釈 2][11]
言語スウェーデン語話者の割合

スウェーデン語はインド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派に属し、ノルウェー語デンマーク語アイスランド語と系統が近い。フィンランド総人口の92%にあたるフィンランド語はウラル語族フィン・ウゴル語派に属する[12]。フィンランドで話されるフィンランド・スウェーデン語(スウェーデン語版)はフィンランド語のイントネーションに近く、語頭にアクセントを置き抑揚が少なく、スウェーデンでのスウェーデン語とは異なる[13]
言語的境界線

スウェーデン語系とフィンランド語系の言語的境界線の初期の証拠として、15世紀はじめにフィンビュー(フィン人の村)とスヴェンスクビュー(スウェーデン人の村)という対になる地名がある。境界線において、言語的な少数派に対して使われたと解釈されている[14]。言語的境界線についての研究では、物質文化は言語と関係なく商品流通と同様に広まることが判明している[15]
話者のイメージ

スウェーデン語系の社会は内陸部にもあり、測量士森林監督官教師警官牧師医師、写真屋、軍人、薬屋、製材工場主、地主などで構成されていた。そうした世帯では家庭でスウェーデン語を話し、フィンランド語を話す使用人を雇っていた。特に19世紀以降のフィンランドでは、スウェーデン語系の一般的なイメージは上流階級社会と結びついた[16]。実際のスウェーデン語系の中心は海岸地域の漁師、農民、職人だったが、スウェーデン語は権力の言語として認識されることになった[17]
借用語

言語的境界線上の地名の多くはスウェーデン語がもとになっており、たとえばスウェーデン語のロングヴァットネット(Langvattnet, 長い水路)がフィンランド語に翻訳されてピトケヴェシ(Pitkavesi)になる。もとがフィンランド語の地名や習慣は、そのままかあるいはスウェーデン語風に変形されて借用された。フィンランド語からの借用語の多くは、商売、職人、使用人などの文化に関係する語が多い。pojke(少年)、piga(女中)、pajta(シャツ、リンネル)、mekko(カーディガン)、parm(干草を量る単位)、katsa(漁労用の網籠)、kont(白樺の樹皮などで作ったリュックやカバン)、loka(ヨット)などがある。2言語併用の歴史が長い地域では、フィンランド語からの借用が1000語以上ある。フィンランド語からの影響は特に若い世代に多く、公文書でも意味借用は行われている[18]
研究

フィンランド教育省下の研究機関であるフィンランド国内諸言語研究所(フィンランド語版)では、スウェーデン語の研究と管理が行われている。言語管理の目的は、地域的な多様性を保ちつつ、スウェーデンにおけるスウェーデン語から過度に遊離することを避ける点にある。スウェーデン語計画課と言語委員会が運営し、標準文語の確立と維持、実態調査、新語の開発などを行っている。情報誌として『言語使用』が発行されている[19]
歴史

スウェーデン語系住民のフィンランド移住は、400年代から800年代にオーランド諸島で始まったとされる。フィンランド本土への移住は1200年代以降だった[9]。土着の信仰をキリスト教に改宗するために北方十字軍が行われ、フィンランドにはスウェーデンとデンマークが遠征した。フィンランドへの十字軍は1155年1249年1293年の3回があったとされるが、遺物が少なく史料が後世に書かれたものであるため、遠征そのものがなかったという説もある[20]
スウェーデン統治時代1658年のスウェーデン王国。スウェーデン帝国バルト帝国と呼ばれた

1276年オーボに司教座が設置され、1323年にスウェーデンとノヴゴロド公国の間でパハキナサーリ条約(フィンランド語版)が結ばれ、本フィンランドや南西フィンランドの地域がスウェーデン領となった。スウェーデン東部の州として統治下に組み込まれ、スウェーデン=フィンランドを形成した。先住民族であるフィン人はスウェーデンの統治下におかれた[21]

スウェーデン統治時代は、スウェーデンから貴族や役人が支配者層として移住した。公用語はスウェーデン語であり、公的文書はフィンランド語に翻訳された。知識人の多くはスウェーデン語系だった[注釈 3][22]。14世紀にペストが流行した際、フィンランドは被害が少なかったが、スウェーデンでは1350年頃以降に人口が激減し、フィンランドへの農民の移住が途絶えたとされる[23]

1397年デンマークがフィンランドをも含んだカルマル同盟を締結するが、デンマーク人の勢力はフィンランドには及ばず、スウェーデン=フィンランドは維持された。1523年にスウェーデンがカルマル同盟から離脱すると、スウェーデン語系もスウェーデンと共に独立した[24]。スウェーデンはエストニア北部へ進出してロシア帝国と対立し、1570年?1595年にスウェーデンとロシアの戦争が起き、主戦場はフィンランドとなった[注釈 4][26]

1700年に始まった大北方戦争ではスウェーデンが敗北した。1713年?1714年にはフィンランドの大部分がロシアの占領地となって略奪や暴行が起き、支配層である貴族や商人らのスウェーデン語系を中心とする数千人がスウェーデンに逃亡した[27]。大北方戦争でカール12世が戦死しスウェーデンが敗北した影響で議会政治が進み、公民権が拡大した時期は自由の時代と呼ばれる。この時期にはフィンランドからスウェーデン語系議員が輩出されてスウェーデンの国政に参加した[28][29]

ナポレオン戦争においてスウェーデンはフランス帝国と対立し、ロシア帝国に第二次ロシア・スウェーデン戦争で敗北した。1809年のフレデリクスハムンの和約でフィンランドはロシアに割譲され、スウェーデンのフィンランド統治が終了した[30]
ロシア統治時代

ロシア帝国はフィンランドを直轄地として、1809年フィンランド大公国を建国した。ロシアはフィン人を大公国の統治者として扱い、これにはスウェーデンとの関係を弱体化する意図があった[31]。ロシアは信教の自由、議会や議員、身分や特権の維持、法律の自由などを保障した[32]。他方で1829年以降に検閲制度が強化され、スウェーデン統治時代に存在した思想や言論・出版の自由は制限されていった[33]。ロシア文化がフィンランドに流入し、ロシア語の名称がそのまま入るか、あるいはスウェーデン語風やフィンランド語風に変形されて取り入れられた[15]。1860年代から工業化が進み、森林資源は「緑の黄金」とも呼ばれて製材や製紙が盛んになった。通信機器における世界な企業だったノキアも1865年の創業当初は製紙業で、創始者のフレドリク・イデスタム(フィンランド語版)はスウェーデン語系にあたる[34]A・アルヴィドソン

19世紀中葉以降、北欧諸国の汎スカンディナヴィア主義の影響でフィンランドでも民族主義が高まると、スウェーデン語系住民もフィン人と共にフィンランドの独立をロシアに訴えた[35]。スウェーデン語系で汎スカンディナヴィア主義者のアドルフ・アルヴィドソン(英語版)が発したとされる有名な言葉に、「もはやスウェーデン人ではない、ロシア人にもなれない、我々すべてはフィンランド人になるのだ」がある[注釈 5][37]1863年の身分制議会でアレクサンドル2世は言語布告を発し、すでに公用語となっていたスウェーデン語と並んでフィンランド語も公用語になり、2公用語体制が始まった[9]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:181 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef