スウェーデン・バルト帝国
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スウェーデン帝国
Svenska stormaktstiden

1611年 - 1718年


(国旗)

1650年代。最盛期のバルト帝国

公用語スウェーデン語フィンランド語ノルウェー語エストニア語サーミ語ドイツ語リヴォニア語ラトヴィア語
首都ストックホルム
国王
1611年 - 1632年グスタフ2世アドルフ
1632年 - 1654年クリスティーナ
1654年 - 1660年カール10世
1660年 - 1697年カール11世
1697年 - 1718年カール12世

貴族宰相
1611年 - 1632年アクセル・オクセンシェルナ
1632年 - 1654年エリーク・オクセンシェルナ
1654年 - 1660年マーガス・ガブリエル・デ・ラ・ガーディエ(Magnus Gabriel De la Gardie)

面積
900,000km²

人口
17世紀初頭250万人

1571年 639,000人1620年 854,000人1699年 1,362,000人1753年 1,781,000人

変遷
建国1611年
ブランデンブルク台頭1670年
反スウェーデン同盟1699年
大北方戦争1700年~1721年
ニスタット条約1721年

通貨スウェーデン・リクスダラー、マルク(1664年まで)、カロリン(1664年から)

バルト帝国(バルトていこく、スウェーデン語: Ostersjovaldet、スウェーデン帝国(Sverigesvaldet)ともいう[1])は、近世ヨーロッパバルト海及びその沿岸を支配した国家、スウェーデン王国が繁栄した大国時代の日本での呼称。スウェーデン人自身はこの政体を「帝国」とは呼ばなかったが、複数の言語民族の領域を支配したことから日本ではそれを踏まえてこう呼ばれる。グスタフ2世アドルフのバルト帝国建国から、1700年代に始まった大北方戦争によってスウェーデンがロシア帝国に敗れるまでのおよそ1世紀間についてこう呼ばれる。スウェーデンでは「大国時代」(stormaktstiden)と呼ばれている。 目次

1 概要

2 前史

3 バルト帝国の建国

4 停滞期と斜陽の時代

5 バルト帝国の瓦解

6 帝国の残光

7 脚注

8 参考文献

9 関連項目

概要

「バルト」とは、中世以来バルト海沿岸地域全体を指し示す呼称として用いられて来た。この環バルト海の覇権を巡り、ロシアデンマークプロイセンポーランドなどが争った。このバルト海を制す国が、後世バルト帝国と呼ばれるようになる。そのため、バルト海を意味する「マーレ・バルティクム」(Mare Balticum, ラテン語)は、バルト帝国と同意義語として扱われる様になった。バルト海はまた、ヴァイキング時代の後に「スウェーデン海」、あるいはスウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)の名から付けられた「ヴァリャーグ海」とも呼ばれたこともあった[2]

マーレ・バルティクムがバルト帝国と同義とされるのは、バルト海の制海権も含めているからである。この制海権は、ハンザ同盟の支配から15世紀にデンマークに移り、16世紀半ばには事実上スウェーデンの支配に帰したことにある(もっとも、バルト海南岸及びデンマーク近海は依然デンマークの影響下にあった)。また17世紀後半にはプロイセン艦隊もバルト海南部に影響力を誇っていた。とは言えバルト海全域を見ると、17世紀全般にわたり依然スウェーデンの影響が強く、バルト海の支配者はスウェーデンであったと言える(スウェーデン海軍は、北欧ではデンマーク海軍とほぼ拮抗した規模を擁していた)。またスウェーデンは、北海に通じるエーレスンド海峡の自由通行権も1645年にデンマークより獲得していた[3]。デンマークは15世紀(1429年)以降この海峡を通過する船舶から通行税を得ていた。しかしスウェーデンは、デンマークに対する優位の一つとしてこの通行税免除を勝ち得ていた(大北方戦争終結後のデンマークとのフレデリクスボー条約(1720年)でスウェーデンは通行税免除特権を返上し、以後19世紀半ばの1857年まで通行税の支払いが行われた)。しかしロシアはこれに対抗する為、17世紀後半から港湾と艦隊建造に邁進し、18世紀に始まった大北方戦争でスウェーデン艦隊を撃破し、バルト海の制海権もロシアに移って行くのである。

スウェーデンがバルト帝国として近世における大国の地位の基礎を築いたのが、1558年に始まるリヴォニア戦争だった。デンマーク=ノルウェードイツ騎士団リヴォニア帯剣騎士団と連携しロシア・ツァーリ国のバルト海進出を阻んだ戦争だった。ロシアが再びその勢力を復活させるまでの間、スウェーデンはバルト海を巡る闘争を通しヨーロッパの強国の一つとして存在感を示しかつてカルマル同盟として宗主国にあったデンマークから独立した。

リヴォニア戦争後、一時弱体化したが、17世紀初頭のロシア大動乱への参戦を通じて、ロシアにおけるヨーロッパへの窓、バルト海への出口を確保してロシアを再度駆逐することで真のバルト帝国の時代が始まったとされる。ドイツ三十年戦争に勝利し、同時にデンマークをバルト海から締め出すことでバルト帝国は完成したと言える。


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