この項目「スウェーデンの国旗」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:英語版 "Flag of Sweden" 23:20, 5 September 2013 (UTC)
)スウェーデンの国旗
スウェーデン国旗
使用市民旗、政府用旗 ?
比率5:8
採用1906年6月22日
デザイン青地に金色(もしくは黄色)のスカンディナヴィア十字
スウェーデン軍旗
使用軍旗 ?
比率1:2
採用1906年6月22日
デザイン青地に金色(もしくは黄色)のスカンディナヴィア十字。旗尾が燕尾型。
スウェーデンの国旗(スウェーデン語: Sveriges flagga)には、青地に金のスカンディナヴィア十字が描かれている。金十字旗とも呼ばれる[1][2]。
このデザインと色使いは1442年に制定されたスウェーデンの国章に由来するものであると考えられている。この国章では、青字が金色のクロスパティーで4つに区切られており、デンマークの国旗に倣ったものであるとされる[3]。ただし、青と黄色の色使い自体は、少なくとも1275年に制定されたスウェーデン王・マグヌス3世の王室の紋章で既に使われている。この国旗に使われた色については、青は澄んだ空、金はキリスト教・自由・独立を表すとも言われる。 国旗及び市民旗 スウェーデンの軍旗には、国旗を三ツ尾の燕尾型 (tretungad flagga)としたものが使用される。この軍旗の縦横比は、燕尾部分を含めて1:2である。この旗は、スウェーデン海軍の国籍旗(艦首旗)としても使用される。この国籍旗は、旗の大きさは軍艦旗のものよりも小さいものであるが、その他の形状やデザインは軍艦旗と同一である。この軍艦旗で使用される燕尾型の旗は元々スウェーデン王個人の象徴、もしくはスウェーデン王配下の部隊を代表する象徴であったといわれる。この旗は当初、二ツ尾のものが使用されていたが、17世紀中ごろより、現在の三ツ尾の旗が使用されるようになった。スウェーデンの省庁では、基本的に通常の長方形の国旗が掲揚されているが、スウェーデン国防省では、こちらの三ツ尾の軍旗が掲げられる。 スウェーデンの王室旗 (Kungl. flaggan)は、三ツ尾燕尾型の軍旗と同一のものである。ただし、通常の場合、その中央に、白い領域が設けられ、セラフィム勲章
?現在の国旗(縦横比2:3の別タイプ)
詳細
国旗及び市民旗
軍旗
王室旗
歴史1899年におけるスウェーデン=ノルウェーの旗。右下の商船旗においては、連合王国の記章が外されていることがわかる。その一方で、ノルウェー軍艦旗では連合王国の記章は使用継続された。これは、国外にある大使館が、商船旗の変更を告知するために作成した
神話の時代(英語版)において、1157年に訪れたフィンランドの地で、青空に金十字を見たという故事に由来するとされる。この金十字は神からのメッセージであるとして、エリク9世は自身の旗印として、青地に金十字を施したものを使用するようになった。ただし、金十字は後年に実用性などの面から黄色の十字に変更されている。この神話に関する問題としては、この神話に関する部分について、現在まで残る十字軍の記録には記載がないこと、また16世紀中頃になるまで、このデザインの旗について書かれた絵や記録が残っていないことが挙げられる。
このスウェーデンの国旗の起源については、他にもスウェーデンの旗がおそらくは、デンマークの国旗[注釈 1]に対抗した旗であるという説が唱えられている。この説では、スウェーデンの旗はスウェーデン王・カール8世[注釈 2]の時代に作成されたとしている。
これらの他に、歴史家の中には、1420年以前のスウェーデンの旗は青地に白十字を用いたものであったと述べる者もいる。その説によれば、1521年にクリスチャン2世を廃し、スウェーデン王となったグスタフ1世の統治時代の初期に白十字が金十字に置き換えられたと述べられている[6]。 スウェーデンの国旗がいつごろ作成されたかについては、正確な記録がなく不明である。しかし、青地に黄色い十字のデザインのスウェーデンの旗が描かれたもっとも古い絵画として、グスタフ1世の統治していた時代である16世紀初めごろに描かれたものがある。この絵画の中で描かれている旗は、二ツ尾の燕尾型の旗である。また、最初に法的に国旗のデザインについて定められたのは、1562年4月19日に出された王室布告によるものが最初である[7]。この布告において、国旗のデザインは、「gult udi korssvijs fordeelt paa blott(青地に黄色い十字)」と定められた。さらに、1569年に王室布告において、この黄十字は常にスウェーデンの軍旗・旗印となった。これ以前において、ヨハン3世の公国の紋章において似たような旗を見ることができる。このヨハン3世の公国は、今日の南西スオミに存在していた。この紋章は、現在の南西スオミ県の県章として未だに使用されている。1620年代のグスタフ2世アドルフの時代になって初めて、青地に黄十字の二ツ尾の旗がスウェーデン船に掲げられていたことを証明するものが存在する。 17世紀中ごろから、二ツ尾の旗に代わって三ツ尾の旗が使用されるようになる。1663年11月6日の王室布告では、三ツ尾の旗のみを、国旗および軍艦旗として使用するように定められた[8]。これと同じ布告において、商船は各々の州の色をした正方形の旗を掲げることのみが許された。しかしながら、実際問題として、商船団は三ツ尾の国旗を正方形にカットしたものを商船旗として使用し始めた。1730年の造船に関する政府の命令において、この商船旗は国旗と同じ比で同じ色を使うこととなった。大きな違いとしては、正方形にカットされている点が挙げられる[9]。1756年、個人船におけるペナントの使用が禁止された[10]。これは、本来は武装した船であることを示す軍艦旗が民間の商船隊でも使用される違法状態が常態化していたことが指摘されている。 1814年にスウェーデンは、ノルウェーと連合王国であるスウェーデン=ノルウェーを成立させる。1815年6月6日、スウェーデンとノルウェー両国は、軍艦旗を導入した。この旗は、それまで使用されてきた三ツ尾燕尾型のスウェーデンの軍艦旗と類似した旗であり、それまでのスウェーデン軍艦旗のカントンに、赤地に白のサルタイアーが書かれたものが追加している。この旗は、ノルウェー首相であり連合論者でもあったペーデル・アンケール ノルウェーの一般の船舶は、フィニステレ岬以北では、デンマークの商船旗と区別するために、このデンマーク国旗に国章を追加した旗を使用し続けた。しかし、地中海では、海賊から身を守るためにスウェーデンの商船旗を掲げていた。そのため、このスウェーデンとノルウェー双方の国で統一の商船旗が1818年に導入された。この商船旗は、3年前に定められた軍艦旗を長方形にしたものであった。この商船旗は、スウェーデンの船舶では使用は任意であったが、ノルウェーの船舶においては、遠方の海上でこの商船旗を掲げることが義務付けられた。1821年には、ノルウェーは新しい国旗を採択した。その国旗は、今日使用されているノルウェーの国旗と同じデザインのものである。 1821年7月17日にノルウェーの新しい国旗が採択されたことに続いて、スウェーデンとノルウェー両王国の船舶は、1818年に導入されたサルタイアーを含む長方形の商船旗を"遠方の海上"(フィニステレ岬より遠方)で使用することが定められた。この"遠方の海上"においては、各船舶はそれぞれの所属する国家の長方形の商船旗か、スウェーデン=ノルウェーの商船旗のどちらかを使用することが正しいとされた。このシステムは1838年まで継続された。 1844年6月20日の王国決議により、新しい旗と紋章が導入されることが決定した。これらは、スウェーデン=ノルウェーの両王国が同等の地位であることを示すものであった。両国家では、同じパターンで作成された商船旗・軍艦旗が採用された。これは、それぞれの王国の国旗のカントンにスウェーデン=ノルウェーの連合王国の記章 この新しい旗は、ノルウェー人たちの間では好意的に受け入れられた。彼らは、スウェーデンとノルウェーの連合王国が成立したときから、彼ら自身の軍艦旗を導入することを求めていた。その一方で、スウェーデンにおいては、実際のところこの新しい連合王国の記章が一般に浸透ることはなかった。そして、ニシンの酢漬けにレッドビートとリンゴを放射状に添えたカラフルな料理にちなんで、軽蔑的に「Sillsallaten」(スウェーデン語)、もしくは「Sildesalaten」(ノルウェー語)というニックネームがつけられた。このニックネームは、ストックホルムのスウェーデンの貴族館
初期の国旗
二ツ尾の旗
三ツ尾の旗
青い海上旗として使用することが規定された。この旗は、スウェーデンの海岸線に沿って、領海内の群島の警備を行っていた水陸両用師団の小型船や小砲艦で掲げられた。奇妙なことに、Skargardsflottanの司令官は、ふさわしいとされた時には、青一色の海上旗の代わりにこれまで使われてきた通常の軍艦旗を使用することが正しいとされていた[11]。この青一色の海上旗は1813年まで使用された。
スウェーデン=ノルウェー
ユニオンフラッグ(1815年から1818年)
ユニオンフラッグ(1844年)
19世紀の間、スウェーデンの国旗の使用に関していくつもの決まりが定められた。軍艦旗は、税関や水先人、郵便省(英語版)のような政府機関の船舶や建物でも使用された。