スウィング・アウト・シスター
[Wikipedia|▼Menu]

スウィング・アウト・シスター
出身地
イングランド マンチェスター
ジャンルソフィスティ・ポップ
クロスオーバー
ブルー・アイド・ソウル
ポップ
アシッド・ジャズ
ジャズ・ファンク
活動期間1985年 -
レーベルマーキュリー・レコード
ユニバーサル・レコード
シャナキー・レコード
日本 : エイベックス[1] (2009年 - )
共同作業者ポール・スティブリー・オードフィー(プロデュース)
公式サイト ⇒Swing Out Sister(英語)

メンバーアンディ・コーネル
コリーン・ドリュリー

旧メンバーマーティン・ジャクソン (1985-1989)

スウィング・アウト・シスター (Swing Out Sister) は、イギリスのクロスオーバー、ポップ系男女デュオ。ヒットを出した当初はトリオだった。1986年の「ブレイクアウト」 (Breakout) や「サレンダー」「セイム・ガール」などのヒット曲で知られている。音楽ジャンルは、シンセポップブルー・アイド・ソウルクロスオーバー,ラテン音楽などに分類できる。バンド名は、公式ホームページや音楽記事などでSOSと略して表記されることもある。敢えて時流を追わずに1960年代モータウンを深く参照したシンセポップの音楽性が特徴的である。
来歴
結成

現在はデュオであるスウィング・アウト・シスターは、当初はキーボード担当のアンディ・コーネル (Andy Connell)、ドラムのマーティン・ジャクソン (Martin Jackson) と、後から加わったヴォーカルのコリーン・ドリュリー (Corinne Drewery) のトリオで1984年に結成された。バンドの名前は、1945年のアーサー・トリーチャー主演映画『Swing Out, Sister』から採られた。
1985年-
『It's Better To Travel』

マーキュリー・レコードと契約し、ポール・スティブリー・オードフィーをプロデューサーに迎えデビューアルバム制作を始めたスウィング・アウト・シスターは、デビュー曲となる「ブルー・ムード」 (Blue Mood) を1985年11月にイギリスでリリースしたが、チャートインしなかった。1986年末に発売したシングル「ブレイクアウト」はイギリスチャート4位そしてアメリカチャート6位を記録するヒットとなった。続くジョン・サーケルトランペットソロが使われた「サレンダー」(Surrender) はイギリスチャート最高7位、落ち着いたジャズ調の「トワイライト・ワールド」(Twilight World) は多くのミュージシャンの手でリミックスされダンスナンバーともなった。アルバム『ベター・トゥ・トラベル』は1987年5月11日にイギリスで発売されてチャート1位となる。アルバムに、サーケルとともにレベル42との共演で知られるゲイリー・バーナクル(サクソフォーン)、エイジアとのセッションにも加わったルイス・ジャーディム(パーカッション)、ティム・キャンスフィールド(ギター)、ジェリー・ヘイ(トランペット、フリューゲルホルン)らも参加した。のちにこのアルバムからは「ブレイクアウト」のような陽気なポップ調の「フール・バイ・ア・スマイル」(Fooled By a Smile) がシングルカットされた。バンドは、「ブレイクアウト」で1988年のグラミー賞最優秀新人賞とグループやデュオによる最優秀ポップ・ヴォーカル賞にノミネートされた。

『ベター・トゥ・トラベル』は、アレンジを担当したリチャード・ナイルスによって、管楽器・弦楽器調のシンセサイザー、ドラムサウンドや木琴などを効果的に織り交ぜ、ジャズと当時流行ったテクノポップを融合させたものとなっている。これは、1950年代後半のナイトクラブ的雰囲気に、テクノポップ調の装いを纏わせたホーンセクション用いたジャズと解釈されている。

アルバムに収録された「トワイライト・ワールド (superb,superb,mix)」のイントロでは、東京駅に到着する列車の日本語による車内アナウンスが効果音として用いられ、トリオ編成だった当時某飲料メーカーのテレビCMに出演している。楽曲は「フールド・バイ・ア・スマイル」が使用された[2])。
1989年-
マーティンの脱退

セカンドアルバム『カレイドスコープ・ワールド』制作中に、「サレンダー」で印象的なドラム演奏を聞かせていた結成メンバーのマーティン・ジャクソンが、音楽観の相違からバンドを脱退した。ライナーノーツには"special thanks to Martin Jackson"と記され、「テインテッド」(Tainted) や「ビトウィーン・ストレンジャーズ」(Between Strangers) の共作者として名を残している。このアルバム以降はコーネルとドリュリーのデュオ編成となった。
『Kaleidoscope World』

1989年に発売された『カレイドスコープ・ワールド』は、時代の流れに追随せずレトロな音楽に根源を求め、後の彼らの音楽スタイル確立に繋がる転機となった。シンセサイザーの音源に強く依存していた前作と比較して、バート・バカラックやジミー・ウエップのようなイージーリスニング調の編成に影響を受け、オーケストラを上手く融合させ作曲や編曲にクラシック音楽的な傾向を持たせた本作は、より芳醇さと深みを与えている。これらは、最初のシングル「ユー・オン・マイ・マインド」(You On My Mind) や、ジョン・バリーの「真夜中のカーボーイ」からのサンプリングを含んだ「フォーエヴァー・ブルー」(Forever Blue) で顕著に見られる。前作に見られたオリジナリティが影を潜めたととの批評もある。例外として、アメリカのみでシングルカットされた「ウェイティング・ゲーム」(Waiting Game) は「ブレイクアウト」に通じるポップ調に仕上がっている。
1992年-

『カレイドスコープ・ワールド』発売後、スウィング・アウト・シスターはイギリスや日本などを廻るライブツアーを敢行するなどの日々を過ごし、次回作の発売までに3年を要した。
『Get In Touch With Yourself』

彼らが模索するレトロ的な音楽観は、1992年5月に発売された3枚目のアルバム『ゲット・イン・タッチ・ウィズ・ユアセルフ』のサウンドやイメージの中に顕著に浮かび上がりつつも、上手く融合させることに成功した。全体を通して強いダンスミュージックのテンポで彩りつつも、収録曲の多くは、例えばダスティ・スプリングフィールドの曲を軽やかなアレンジでカバーした「セイム・ガール」(Am I The Same Girl? ) のように、1960年代から70年代のジャズポップスソウルミュージックファンクなどの影響を受けている。この傾向は以後のアルバムにも強く見られる。70年代のソウルミュージックやモダンポップ調を上手く取り入れているタイトルトラックの「ゲット・イン・タッチ・ウィズ・ユアセルフ」(Get In Touch With Yourself) はスムーズ・ジャズやアダルト・コンテンポラリーのラジオプログラムで頻繁に紹介された。「セイム・ガール」は全英21位、全米45位と久々にシングルでのチャート・ヒットを記録した。

この頃、ドリュリーはそれまで彼女のトレードマークと言えるボブカットから、アルバムのテーマに則す形で髪を伸ばし始めた。

1993年に初のライブアルバム『ベスト・ヒッツ・ライヴ』(Live at the Jazz Cafe) を発表した。
1994年-
『The Living Return』

前作発売から、4枚目となるアルバム『リヴィング・リターン』が発売された1994年までの間に、バンドを取り巻く環境は大きく変化した。プロデュースはそれまでのオードフィーに代わってレイ・ヘイデンが起用され話題となった。彼は肩の力が抜けたスウィング・アウト・シスター本来の魅力をスタジオ録音で引き出すことに貢献した。バンドの正式メンバーは変わらずコーネルとドリュリーの二人のみであったが、サポートメンバーに52nd Streetでもベースギターを担当していたデレック・ジョンソン、パーカッション担当のクリス・マニス、ドラマーのマイク・ウィルソン、トランペットのターケルなど総勢10名の豪華なものとなった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:59 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef