スイユ出版社(スイユしゅっぱんしゃ、フランス語: Editions du Seuil)は、1935年に創設されたフランスの出版社。主に文学書、人文科学書、社会科学書を出版している。『エスプリ』誌、『テル・ケル』誌や永遠の作家叢書、地中海叢書などを刊行するほか、フランシス・ジャンソン、カテブ・ヤシーン、レオポール・セダール・サンゴール、ジェルメーヌ・ティヨン、ジャック・ラカン、ピエール・ブルデューらの著書は、そのほとんどがスイユ社から出版された。
歴史
創設 - 戦間期のカトリック知識人の拠点(フランス語版)(モンスーリ公園通り)23番地の自宅で広告代理店を営んでいたスウェーデン出身のアンリ・シェーベリ(Henri Sjoberg)によって創設された[1][2][注 1]。シェーベリがこのとき刊行したのは自作の詩集『輪舞曲』と戦間期に活躍したカトリック知識人プラクヴァン神父(フランス語版)の『子どものためのキリスト教生活の手引き』の2冊であった[6][7]。シャルル・マルヴィル(フランス語版)によるポワトヴァン通りの写真(1853-70年頃)
フランス語で「敷居」を意味する ≪ seuil ≫ を社名にしたのは、まだ作品を発表したことのない若手の作家が著名な作家との間にある「敷居を跨ぐ」ことができるように、彼らの作品を積極的に紹介しようという意図であった[2]。
シェーベリは創設2年後の1937年に病に倒れ、プラクヴァン神父に紹介された2人のカトリック教徒に出版社の経営を委ねた。宝石商のポール・フラマン(フランス語版)と陶器商のジャン・バルデ(フランス語版)であり、2人は合資会社を設立し、パリ6区ポワトヴァン通り(フランス語版)1番地のアパートに編集部を置いて、同じカトリックの知識人の書籍を年に数冊刊行する程度の小規模な活動を行った[1][2]。
第二次大戦中は2人とも出征し、出版活動は中断された。再開の契機は、1943年に、ボーイスカウト運動の指導者ギィ・ド・ラリゴーディ(フランス語版)(1940年に戦死)の思想を『はるか沖合の星(Etoile au grand large)』として出版し、スイユ社初のベストセラーになったことであった[8]。 本格的に活動を再開したのは1945年1月、カトリックの哲学者エマニュエル・ムーニエが1932年に人格主義の運動の機関誌として創刊した『エスプリ』誌[9][10] の刊行を引き受けたときからである。
戦後の主な出版活動
エスプリ誌