スイサイダル・テンデンシーズ
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スイサイダル・テンデンシーズ
Suicidal Tendencies
フランス・クリソン公演 (2017年6月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ヴェニス
ジャンルハードコア・パンククロスオーバー・スラッシュスラッシュメタルミクスチャーロック
活動期間1982年 - 1995年1997年 -
レーベルフロンティアキャロラインヴァージンエピック、Suicidal
公式サイト ⇒www.suicidaltendencies.eu

メンバーマイク・ミューア (Vo)
ディーン・プレザンツ (G)
ベン・ワインマン (G)
タイ・トゥルヒーヨ(B)
ジェイ・ワインバーグ(Ds)

旧メンバーロッキー・ジョージ (G)
マイク・クラーク (G)
ロバート・トゥルヒーヨ (B)
ステファン・ブルーナー (B)
ブランドン・ペルツボルン (Ds)
ほか別記参照

スイサイダル・テンデンシーズ(Suicidal Tendencies)は、アメリカ合衆国出身のスラッシュ/ハードコアバンド

米国西海岸の代表的なハードコアバンドで、1980年代初期はスケーターズロック、以降はスラッシュメタルファンクの影響を取り入れた「クロスオーバー・スラッシュ」の先駆者となった。
略歴スウェーデン・ブレーキンゲ公演 (2010年6月)

1982年カリフォルニア州ヴェニスで、スケートチーム「Z-BOYS」のオリジナル・メンバーだったジム・ミューア(Jim Muir)の実弟マイク・ミューアを中心に結成された。1983年フロンティア・レコードからアルバム『スイサイダル・テンデンシーズ』でデビュー。過激な歌詞、カリフォルニアのローカル・ギャングのようなファッション(初期メンバーのエイメリー・スミスは実際に元ギャングだった)、そして自殺を示唆するバンド名が問題となり、1983年から1991年までの間、バンドはロサンゼルスでのライブ・パフォーマンスを禁止された。

1987年にリリースされたセカンド・アルバム『Join The Army』では、新たに加入したギタリスト、ロッキー・ジョージの影響もあり、スラッシュメタル寄りのアプローチを見せるようになる。地元のスラッシュメタル・バンド、ノー・マーシー (No Marcy)のギタリストだったマイク・クラークがリズムギターとして加入したサード・アルバム『How Will I Laugh Tomorrow...』ではさらにメタル色が強まった。1989年にベースにロバート・トゥルヒーヨを迎えた後のアルバム『Lights...Camera...Revolution!』、5th『Arts Of Rebellion』では従来のサウンドにファンク色が取り入れられている。セールス上はこの時期がバンドの絶頂期に当たり、1991年にはメガデステスタメントスレイヤーと共にClash Of The Titansツアーに参加している。

1991年より、マイク・ミューアはベーシストのロバート・トゥルヒーヨと共にインフェクシャス・グルーブスを始める。スイサイダル・テンデンシーズ本体としては、1993年にファースト・アルバム&セカンド・アルバムの再録盤『Still Cyco After All These Years』を、1994年にはアルバム『Suicidal For Life』をリリースする。しかし、そのセールスは芳しくなく、エピック・レコードとの契約を切られたバンドは、ツアー後の1995年に解散した。

解散後、1996年よりマイク・ミューアは「サイコ・マイコ (Cyco Miko)」の名義でソロ活動を行っていたが、1997年にスイサイダル・テンデンシーズの活動を再開する。1999年には『Freedumb』、2000年には『Free Your Soul And Save My Mind』をSuicidal Recordsよりリリースした。

21世紀に入ってからは新作を発表せずライブ活動に専念していたが、2010年に初期作品を再録した『No Mercy Fool!/The Suicidal Family』をリリース。2012年4月には来日公演を行い[1]、その翌年にもインフェクシャス・グルーブスと共に来日した。2013年、13年ぶりの完全新作となるアルバム『13』を発表したが、翌年、ベース担当のティムが病気により急逝した[2]。後に、ティムの後任としてマイケル・モーガンを迎え、同時に一時期バンドを離れていたドラマーのエリック・ムーアも復帰した。

2016年デイヴ・ロンバード、ジェフ・ポーガン、ラ・ディアスが加入しリズム隊を総入れ替え。アルバム『World Gone Mad』をリリース[3]

2024年3月5日、バンドのSNSを通じて、ジェイ・ワインバーグ(ドラムス、元スリップノット)の加入を発表[4]
メンバー
現ラインナップ

マイク・ミューア (Mike Muir) -
ボーカル (1981年- )

ディーン・プレザンツ (Dean Pleasants) - リードギター (1997年- )

ベン・ワインマン (Ben Weinman) ? リズムギター (2018年? )

タイ・トゥルヒーヨ (Tye Trujillo) - ベース (2021年? )

ジェイ・ワインバーグ (Jay Weinberg) ? ドラムス (2024年- )


マイク・ミューア(Vo) 2017年

旧メンバー
ギタリスト
リードギタリストのロッキー・ジョージは11年間に渡って在籍した

マイク・ボール (Mike Ball) (1980年?1982年)

リック・バットソン (Rick Battson) (1982年?1983年) 

上記2名が参加した音源は存在しない。

グラント・エステス (Grant Estes) (1982年?1983年)

 ファースト・アルバムに参加。

ジョン・ネルソン (Jon Nelson) (1983年?1984年)

 スタジオ音源は存在しない。1983年に行われたファースト・アルバムのツアーに参加。Join The Armyなどに収録される曲を数曲作っている。それらの曲の権利は脱退時にすべてマイク・ミューアに売り渡した(マイクの持っていたフライングVのプロトタイプモデルと交換したとも言われる)。

ロッキー・ジョージ (Rocky George) (1984年?1995年)

 Welcome to Veniceからバンドに加入し、Join the ArmyからSuicidal for Lifeまで参加。アイバニーズ・RGシリーズがトレードマーク。スレイヤーのジェフ・ハンネマンと「Pap Smear」というパンク・バンドをしていた時期もある。

マイク・クラーク (Mike Clark) (1987年?1995年、1997年?2012年)

 How Will I Laugh Tomorrow When I Can't Even Smile Todayから13まで参加。バンドのメイン・ソングライターとして数多くの曲を作った。クラーク参加以前に作曲された曲のみを収録したStill Cyco After All These Yearsを除けば、参加したすべてのアルバムで作曲を担当している。

ニコ・サントラ (Nico Santora) (2012年?2016年)

ジェフ・ポーガン (Jeff Pogan) (2016年?2018年)

ベーシスト
元メンバーのロバート・トゥルヒーヨは脱退後、オジー・オズボーンメタリカでプレイしている

マイク・ダニガン (Mike Dunnigan) (1980年?1981年)

 マイク・ボール脱退直後はギタリストとして参加していた。

アンドリュー・エヴァンス (Andrew Evans) (1981年)

 マイク・ボール脱退直後にベーシストとして参加。

ルイス・マヨルガ (Louiche Mayorga) (1981年?1987年)

 ファースト・アルバムからJoin The Armyまで参加。パンク志向が強く、メタルに影響されて変化することに否定的だった。

リック・クレイトン (Ric Clayton) (1988年)

 元No Mercyのベーシストで、マイク・クラークと同時に加入。現在使用されているバンドのロゴを制作した。

ボブ・ヒースコート (Bob Heathcote) (1987年?1989年)

 How Will I Laugh Tomorrow When I Can't Even Smile Todayに参加。突如解雇された後、しばらくは音楽活動を続けていたが、その後はカーレース専門の写真家に転身した。


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