この項目では、アメリカ合衆国のミュージシャンについて説明しています。その他の用法については「ジーン・ハリス (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ジーン・ハリス
出生名Eugene Haire
生誕 (1933-09-01) 1933年9月1日
出身地 アメリカ合衆国 ミシガン州ベントン・ハーバー
死没 (2000-01-16) 2000年1月16日(66歳没)
ジャンルジャズ、ブルース、ソウル・ジャズ
職業ミュージシャン
担当楽器ピアノ、キーボード、ハモンドオルガン
活動期間1955年 - 2000年
レーベルブルーノート、コンコード・ジャズ
共同作業者ザ・スリー・サウンズ、レイ・ブラウン、フィリップ・モーリス・スーパーバンド、ニキ・ハリス
ジーン・ハリス(Gene Harris、1933年9月1日 - 2000年1月16日)は、アメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト。ブルースやゴスペルとの混成によるソウル・ジャズのジャンルで活躍し、温かな音色のピアニストとして親しまれた。 9歳から独学でピアノを弾き始める。地元のバンドと初舞台を踏み、1951年から1954年まで米国軍楽隊で演奏した。 1956年に結成した「ザ・フォア・サウンズ(The Four Sounds)」を前身として、翌1957年にダブルベース奏者のアンディ・シンプキンスとドラマーのビル・ダウディ
略歴
1970年代にハリスの音楽は、商業ベースでは普及したにもかかわらず、最早ほとんど評価されなくなった。この時期、ザ・スリー・サウンズが演奏した楽曲は、かなりファンキーでグルーヴィーなものばかりであり、従ってわずかな和音しか使っていなかった。
1970年代後半からは、アイダホ州ボイズにほとんど籠り切りだったが、地元のアイダンハ・ホテルでは定期的に演奏を行なった。
1980年代初頭にレイ・ブラウンの説得に応じて演奏界に復帰し、1985年にはブラウンのヨーロッパ・ツアーにも同行する。レイ・ブラウン・トリオと共演した後、2000年に肝障害で没するまで、自らのグループを率いてコンコード・レコードに定期的に録音を残した。この時期の録音は、ゴスペルやブルース、ハードバップの混合した様式が認められる。
ハリスの最も人気のある演奏の一つは、アルバム『Live at Otter Crest』に収録された「Battle Hymn Of The Republic (リパブリック讃歌)」である。
ディスコグラフィ
ザ・スリー・サウンズ詳細は「ザ・スリー・サウンズ#ディスコグラフィ」を参照
リーダー・アルバム
『アワ・ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ』 - Our Love Is Here to Stay (1955年、Jubilee)
『ジニー・イン・マイ・ソウル』 - Genie in My Soul (1960年、Jubilee)
『イエスタデイ・トゥデイ&トゥモロー』 - Yesterday, Today & Tomorrow (1973年、Blue Note) ※2枚組。日本盤CDは『Vol.1』『Vol.2』に分けて発売
『アストラル・シグナル』 - Astral Signal (1974年、Blue Note)
『ネクサス』 - Nexus (1975年、Blue Note)
『イン・ア・スペシャル・ウェイ』 - In a Special Way (1976年、Blue Note)
『トーン・タントラム』 - Tone Tantrum (1977年、Blue Note)
Live at Otter Crest (1981年、Jazzizz/Bosco/Concord)
『ホット・リップス』 - Hot Lips (1982年、JAM)
『ネイチャーズ・ウェイ』 - Nature's Way (1984年、JAM)
『ジーン・ハリス・トリオ・プラス・ワン』 - The Gene Harris Trio Plus One (1985年、Concord)
『カウント・ベイシーに奉ぐ』 - Tribute to Count Basie (1988年、Concord)
Listen Here! (1989年、Concord)
『ライヴ・アット・タウンホール』 - Live at Town Hall, N.Y.C. (1989年、Concord)
『アット・ラスト』 - At Last (1990年、Concord)