ジーンズ
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「ジーンズ」のその他の用法については「ジーンズ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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出典検索?: "ジーンズ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2008年4月)
ジーンズジーンズを男性が着用した様子

ジーンズ(英語: jeans)とは、デニム生地や他の生地でできたカジュアルなズボン[1]やスカート。特にブルーのもの。
概説

ジーンズとは基本的にはデニム生地や他の綿生地でできたカジュアルなズボンを指す[1]ジーンズの生地の拡大写真ジェノヴァ産の「ジーンズ」 (1850?1900年ごろ)

年齢や性別を問わず幅広い消費者に受容されたファッション衣料であり、服飾のみならず社会学の対象となることもある[2]デザイナーブランドの高級品も一般向けの廉価な商品も作りはほぼ同じだが、生地や縫製、部材など、おしゃれかどうかを決定する上では判別することは難しく、細かい違いによって、多様な消費者層を作り出している[2]
呼称

ジーンズとはデニム生地でできたズボンを指すが、そもそもデニム生地で作られた作業着は広告やパッケージングにおいて、Overalls(オーバーオールズ)と呼ばれていた。ジーンズという呼称は、50年代に入ってから当時の若者たちの間で呼ばれ始めたもの。それまでは例えばリーバイス社は、最初のジーンズ誕生時から、伝統的に501をOveralls(オーバーオールズ)と呼称しており、ジーンズとは呼ばれていなかった。日本人による初のデニムブランド、山本被服のブランド名がスターオーバーオールである事もジーンズと呼ばれ始める1950年代以前の創業であることによる。(つまり、それだけ創業が古いという証明でもある)その後、ジーンズという呼称が普及し、全ての製造メーカーで使われる用語となった。

「デニム」の語源はフランス語の「serge de Nimes(セルジュ・ドゥ・ニーム)」であり、「(フランスの)ニーム綾織り」といった意味の表現である。ニームの地のアンドレ一族がすぐれた綾織りの布地を作っており、布地はしばしば産地の名で呼ぶ習慣があるので、この表現の「de Nimes(「ニームの」「ニーム産」という意味の部分)」だけを残す形で短縮され、「denim」という表現が生まれた。また、この「セルジュ・ドゥ・ニーム」と呼ばれる生地はイタリアのジェノヴァから各国に輸出されたので、産地の「ジェノヴァ」を指す表現は、中世ラテン語では「Genua」と呼ばれ、当時のフランス語(中世フランス語)では 「Gene(ジェーヌ)」であり、この中世フランス語「Gene」が英語に入り「jean」という表現が生まれた。

英語では脚に着用するものは、左脚と右脚は別にして考え、socks ソックス(靴下)、pants パンツ、shoes()のように複数形にするものが多いが、これもjeansと複数形になっている。

日本では、「Gパン」という呼び名がある。これは『@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}G.I.(アメリカ軍軍人の俗称)またはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の人々が履いていたパンツでGパンとなった[要出典]』とする説、『ジーンズを日本に紹介した人物が、ジーン (jean) のパンツの意味で「Jパン」と名づけようとしたが、元の発音に近い「Gパン」を代用した[要出典]』とする説、『「ジーン生地のパンツ」を略して「ジーパン」となり、「ジー」に「G」を当てて「Gパン」となった[要出典]』とする説等がある。

デニム生地製の上着はdenim jacket(デニム・ジャケット)あるいはjean jacket(ジーン・ジャケット)である。日本でも、1950年代から1970年代半ばまでは「デニム・ジャケット」又は「デニム・ジャンパー」と呼ばれていたが、1980年代に入るとすっかり(「ジーンズ・ジャンパー」の略の)「ジージャン」という呼称が定着し、「ジーン・ジャケット」と呼ばれる事は減った。
歴史
米国

ゴールドラッシュに湧く北米の鉱山で働く多くの鉱夫の悩みのひとつは、作業中にズボンパンツ)がすぐに掏り切れてしまうことだった。1870年、仕立て屋のジェイコブ・デイヴィスは、既に設立されていたリーバイス社のリーバイ・ストラウスから仕入れたキャンバス生地を用いて銅リベットポケットの両端を補強した仕事用パンツ(ワークパンツ)を発売し、これが鉱夫らの好評を博した。ジーンズは最初、鉱夫らの作業着であった。特許明細書中の図案

類似品が出回ることを危惧したジェイコブは、このリベット補強済みパンツの特許を取得しようとしたが必要な資金が無く、権利を折半するという条件でリーバイ・ストラウス社に特許申請を依頼し、特許申請は1873年5月20日に受理され、この「リベット補強済みパンツ」はリーバイ・ストラウス社製の製品として製造販売された。このパンツがジーンズの原型である。ジーンズを着用して働く労働者たち(1933年ころ、メリーランド州)

1890年に「リベット補強済みパンツ」の特許は期限が切れ、そのアイディアは社会の共有財産となり、誰でもそれを製造してよい状態となり、多くの会社がリベット補強のパンツの製造・販売を開始した。ジーンズの特徴のひとつである(特に擦り切れやすい箇所である)ポケット端を補強するリベットボタン。古くは製だったが、今では真鍮製が多い。

1900年代に入り、素材はキャンバス生地からインディゴ染めのデニム生地へと変遷し、縫製技術の進化等により1940年代には現在のジーンズとほぼ同様のデザインとなった。1952年のジーンズの販売促進用(広告用)写真。女性の手に枯葉などを取り除く掃除道具を持たせている。1960年代に活躍したSwinging Blue Jeansというイギリスの音楽グループ(1965年)。ジーンズを着用して鉄骨を組む作業をする建設現場の労働者たち(2006年、米国マサチューセッツ州)

1953年の映画『乱暴者』で主演のマーロン・ブランドがLevi's 501XXを、1955年の映画『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンLee RIDERS 101を着用した。これを見た若者が影響を受け、ジーンズは(米国の若者なりの主張を込めた)ファッションとして普及していった。当時米国では「反抗的な若者の象徴」と見なされたため、ジーンズの着用を禁止する学校が多かった。

現在では、単にカジュアルウェア、カジュアルウェアの中でもかなりくだけたもの、として着用されることが一般的で、1950年のように象徴的な意味が意識されることはほとんどなくなった。ただし、一般に正装とは見なされない。式典、格式の高いパーティなどではドレスコードで「ジーンズ着用者は入室禁止(参加不可)」とされることはしばしばある。また、一部では「アメリカの象徴」とされることがあり、韓国と北朝鮮の軍事境界線にある板門店では、ジーンズを穿いた韓国側からの観光客を、北朝鮮が「韓国はアメリカの手先」とプロパガンダに利用する恐れがあるとし、着用を一切許可していなかったことがある。一方、ドイツでは1997年、バイエルン州警察が男女警察官の通常勤務服ズボンとしてカーキ色のジーンズを追加採用している。従来型制服のスラックスが女性警察官の体格に合いにくいことに対処したものである。
日本

1923年(大正12年)山本彦太郎、ゑき夫妻がアメリカで「STAR OVERALL MFG CO.」を創業、日本人による初のデニムブランドとなる。1926年(大正15年)生地の仕入れ方法、裁断、縫製など全ての技術を手に帰国。静岡県沼津市にて作業服製造販売会社「合資会社山本被服製造所」を創業した。民間企業としては日本初の工業被服工場となる。1931年(昭和6年)に商標登録。

1945年の敗戦後にアメリカ軍 (GHQ) が放出した古着の中の大量のジーンズ、そして一気に流入したアメリカの映画や音楽等が普及のきっかけとなった[要出典]。敗戦後の占領時代、闇市だったアメ横の店には、米兵相手の娼婦たちが客からもらった中古衣料を売り払いに訪れ、その中にあったブルーの作業スボンをその界隈ではGIパンツ、通称ジーパンと呼んだ[3]

外交官だった白州は1930年代にアメリカでジーンズを知り、戦後PXで購入したジーンズ姿で寛ぐ写真が1951年に公開され、日本中に知れ渡った[3]

1956年、栄光商事(後のEIKO)(港区北青山一丁目)がジーンズの輸入販売を開始[要出典][注 1](その後は米軍やその家族の放出品であるセコハンジーンズを扱う店がアメ横に登場)ロカビリー歌手やGS(グループ・サウンズ)の人気グループ御用達の店として、また長きに渡って一般客にも愛された[要出典]。1957年には輸入衣料の規制が緩和され、栄光商事や大石貿易がリーやリーバイスと販売契約を結び、大量のジーンズが日本に流入した[3]

1958年に岡山県倉敷市児島のマルオ被服(現:ビッグジョン) が受託生産を開始[要出典]。マルオは学生服製造の傍ら、アメ横の米軍放出品販売店から持ち込まれるジーンズの丈直しを手掛けていた関係から、早くからジーンズ製造に関心が高かった[3]1960年にマルオ被服がジーンズの生産発売を開始。同年に千葉県の高畑縫製がジーンズのEIGHT-Gを生産販売した[要出典]。(「1961年に東京の常見米八商店(現:エドウイン)がビッグジョンより先に販売した」とする説もある[要出典]が、当時アメリカ中古ジーンズの販売を行っていた常見米八商店は息子をジーンズ生産の技術を学ぶために縫製会社の取引先であったマルオ被服に弟子入りさせていたので、あいまいである。)

「キャントン」は、1965年にマルオ被服が、アメリカの中古ジーンズを販売していた大石貿易と取引のあったキャントンミルズ社のデニム生地を買い国内で生産発表したジーンズの名である。大石貿易はいち早くアメリカ産デニムの独占輸入権を取得しており、1964年にジョージア州の布地会社キャントンミルズをパートナーに東京工場で日本市場向けジーンズ「キャントン」を作り始め、その西日本での製造販売契約をマルオと結んだ[3]。当時の日本人には肌さわりが悪くゴワつくジーンズは受けいれられなかったため、マルオ被服 は「ワンオッシュ」という現在のジーンズ生産に重要となる技術を世界で初めて採用し、現在の日本製ジーンズだけでなく世界のジーンズ技術の礎となった。当初、マルオのワンオッシュジーンズは洗濯済みの商品を並べることに抵抗のあった百貨店からは拒絶されたが、1967年にマルオがビッグジョンのブランド名で米国コーンミルズ社のデニムを使った国産ジーンズをデビューさせると値段の手頃さもあって好調に売り上げた[3]。その後1971年には1500万本のジーンズが売れ、1973年には4500万本と日本国内のジーンズ市場は急拡大を見せた[3]。一方で、1970年に米国で布地の輸出が規制され、さらに1971年のニクソン・ショックによる円高でアメリカ産デニム生地は品薄・価格高騰となり、クラボウは広島のカイハラと組んで国産デニムを開発、アメリカ産と遜色ない出来に米国リーバイスからも発注を得た[3]。1972年にはリー・ジャパン(堀越商会)、ラングラー・ジャパン(ヴァン・ジャケット、東洋紡、三菱商事)が設立され、日本ブランドもビッグジョン、エドウィン、ボブソン、ジョンブル、キャピタル、ベティ・スミス、バイソンなど多数出揃い、1970年代半ばには大手三社だけで300億円近くを売り上げる市場規模に成長した[3]

現在の日本でのジーンズ生産量1位の地域は、岡山県である[4]。(岡山県はビッグジョン が所在している)[注 2]。

1970年代以降は男性のみならず、若い女性もジーンズをはくようになった。1977年大阪大学でアメリカ人講師がジーンズを履いた女学生を教室から退室させたことから「阪大ジーパン論争」が起こった。この論争は「ジーパンは作業着で、女性には似つかわしくない」という講師と「ジーパンはもはやファッションの一部」という女学生の主張が真っ向から対立し、最終的に講師が阪大を去るという結果となった[4][5]

1980年代には1950年代のリーバイス501などビンテージジーンズのブームが始まり、アメリカの古いジーンズが大量に輸入され、1990年代には数十万円を超える高価で取引されるまで沸騰した[6]。それにともなって、ビンテージモデルを再現した新しいジーンズのリリースも始まった[6]。1980年にビッグジョンが日本初のセルビッジ・デニムを使ったビッグジョン・レアを発売(布幅の狭いセルビッジデニムは手間がかかり大量生産に向かないため本国米国では廃れていた)、売上的には失敗したが、そのセルビッジ・デニム開発を手掛けたクラボウはその自社デニムをフランスのブランドに販売、このフレンチ・ジーンズをきっかけに、1987年にはリーバイス・ジャパンはクラボウのデニムを使って自社の1936年型501XXのレプリカモデル701XXをリリースした[6]


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