この項目では、WWEで『ジ・アンダーテイカー』を名乗って活動していたプロレスラーについて説明しています。かつて国際プロレスに参戦して『ジ・アンダーテイカー』を名乗ったプロレスラーについては「ハンス・シュローダー」をご覧ください。
ジ・アンダーテイカー
2014年
プロフィール
リングネームジ・アンダーテイカー
ケイン・ジ・アンダーテイカー
パニッシャー・ダイス・モーガン
マスター・オブ・ペイン
ザ・パニッシャー
ミーン・マーク・キャラス
テキサス・レッド
本名マーク・ウィリアム・キャラウェイ
ニックネームデッドマン
怪人
暗黒の魔王
アメリカン・バッド・アス
地獄の墓堀人
ラスト・アウトロー
身長203cm[1] - 208cm[2]
体重136kg[2] - 140kg[1]
誕生日 (1965-03-24) 1965年3月24日(59歳)
出身地 アメリカ合衆国
テキサス州ヒューストン
所属WWE
スポーツ歴バスケットボール
トレーナードン・ジャーディン[3]
バズ・ソイヤー[3]
デビュー1984年
引退2020年6月20日
テンプレートを表示
ジ・アンダーテイカー(The Undertaker、本名:Mark William Calaway、1965年3月24日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州ヒューストン出身[4]。 ギミック上の出身地は死の谷とされている。リングネームの "Undertaker" は墓堀人(本来の意味は葬儀屋)を意味し、転じて「地獄の墓堀人」と表されることもある[5]。TV中継では「テイカー」とも略された。 その豊富な経験と実績でバックステージでの同僚のレスラーのリスペクトは高く、リーダー格の地位にある。入場・試合等では、ヒールを演じていてもブーイングが歓声にかき消されるほどであった[6]。スーパーヘビー級にふさわしい力技、大柄な肉体とは裏腹のフットワークの速さ、安定したレスリングテクニックもさることながら、当たり外れの大きい怪奇派ギミックを完璧にこなし、WWEで人気を得るための重要な要素であるマイクアピールを殆どせずとも、入場するだけで自分のペースに巻き込むことができた。 WWE最大の祭典レッスルマニアでは出場した21大会すべてで勝利を収め、無敗記録を更新し続けていたが、2014年のレッスルマニアXXXでブロック・レスナーに敗北し無敗記録は止まった。墓堀人ギミックの時は「雷を落とす」「敵の背後に姿を現し、後ろを振り返った瞬間に再び姿を消す」「敵の友人の顔が突然、血だらけになる幻が見える」などの超常現象を操れる魔力を持つというギミックがあり、魔力で敵を翻弄することから「心理戦の達人(master of mind games)」とも呼ばれた。 ドン・ジャーディンやバズ・ソイヤーのコーチを受けて、1984年にダラスのWCCW(フリッツ・フォン・エリック主宰)にてブルーザー・ブロディを相手にデビュー[4]。当時のリングネームはテキサス・レッド(Texas Red)だった。その後、メンフィスのCWA(後にWCCWと合併してUSWAと改称)に転戦し、マスター・オブ・ペイン(The Master of Pain)のリングネームで活動[4]。1989年4月1日にはジェリー・ザ・キング・ローラーを破りUSWA統一世界ヘビー級王座を獲得[7]。同年10月5日、覆面レスラーのザ・パニッシャー(The Punisher)に変身してUSWAテキサス・ヘビー級王座も奪取した[8]。 その後、初期のWCWに移籍。ポール・E・デンジャラスリーやテディ・ロングをマネージャーに、ミーン・マーク・キャラス("Mean" Mark Callous)の名でダニー・スパイビーとのザ・スカイスクレイパーズ(The Skyscrapers)[9]などで活動、ロード・ウォリアーズやスタイナー・ブラザーズとも対戦し、シングルではスティングのNWA世界ヘビー級王座やレックス・ルガーのNWA USヘビー級王座に挑戦したが[10][11]、成功することなく退団。この間、1990年3月にパニッシャー・ダイス・モーガン("Punisher" Dice Morgan)名義で新日本プロレスに初来日、広島県立体育館にてスコット・ホールと組み、マサ斎藤&橋本真也のIWGPタッグ王座に挑戦している[12]。当時はショートパンツにセミロングと、後年とはまったく異なるいでたちだった[1]。 WCW退団後、ハルク・ホーガン主演の映画 "Suburban Commando
概要
来歴
初期
1990年-1994年